2014年4月29日火曜日

過ちを笑顔に

27日、新潟糸魚川の後半のお寺の法要に講演で花を添えさせていただきました。無事すませ、その足で北上し上越へ向かいました。旧友とのドライブ、その晩は大浴場のあるホテルに泊まり、昔話で盛り上がりました。

うまく伝わるかわかりませんが、ちょっと不思議感覚を記しておきます。翌日、朝風呂に入ったときのことです。寝ぼけてた私は何気なしに洗い場のシャワーをひねりました。すると凄い勢いで冷水が天井にむけて噴き出ししまいました。

あわわ…と慌てていると後ろから「冷たい!」と声がしました。恐る恐る振り返るとそこにはおじさんと小さな男の子が身体を洗っていました。私は「しまった!」とオロオロするしかなく、とっさに「ごめんなさい、ごめんなさい」と力なく発しました。

すると、おじさんは「あ、かまわんよ、大丈夫、大丈夫」と満面の笑みで返してくれました。男の子も「だいじょうぶ」と笑顔でした。



不思議な気持ちになりました。最悪のミス、怒られて当然のミス、正直お詫びの言葉すら浮かばずにいたのに。二人の反応に妙な爽やかさを覚え、清々しい気持ちになりました。

過ちも対応一つで素晴らしい宝となる。上手くまとまりませんが、こんな一場面が勇気や元気をくださるのだと思うのです。

2014年4月26日土曜日

親父の跡継ぎなんかを目指すから愚僧になるんです。

寺には親父がいて息子がいるケースが多く見られます。跡継ぎとして、父(住職)の背中をみながら働いているパターン。しかしこの形でキッチリ出来ている関係はほんの一握り、ほとんどがヌルい関係が多いように思います。基本的な(高野山)修行はとにかく早いほうがイイ、これが私の持論です。数多くの選択肢をもてるようになってからじゃ逃げ道を他に求めるし、横着や近道の知恵をつけるとどんどん希薄な行となるので、物心ついた時点で没頭を勧めます。高野山での修行を「一人前になった!」と思っている人が大半だけれど、実はそれを車に喩えると仮免許。そこからどんどん路上(実践)を積まなきゃなりません。ほとんどの場合、親父がその席にいるため、ここでペーパードライバーならぬペーパー坊主が生まれます。

私は「うちの若いの頼むわ」とよく頼まれる立場です。ならばと粋に感じて一肌脱ぐのだけれど、たいていの場合、その親父に口を挟まれる。「そこまではせんでいい」「まだ早い」「徐々にでエエ」などなど。母親からはその真逆。「とにかく鍛えてやって欲しい」と頼まれます。どっちやねん!? と悩んでいるうちにその子は来なくなります(笑)



それなら私に頼まなくてもいいような気がするのだけれど、結局その甘さがその息子をどんどんダメにしています。私はよく「住職はなにも世襲制(親子代々)でなくていい」と公言しています。しっかり磨かれたやる気のある他人、値の繋がりのない弟子のほうが絶対に世の中のお役に立つと信じているからです。今の私自身の活躍は、右も左も……いや、上下さえもわからぬ10代の修行時代と、先代の祖父が全権を譲ってくれて、実践で完膚無きまでに揉みくちゃにされたからこその産物です。それしかないんです。

若き跡取りよ、親父に言われてうちに来るようじゃすでに勝負あったですよ。世の中に通用する立場になりたいなら、自立、発心、没頭を呪文にして単独で実行に移せ!厳しいけれどそれしか言いようがありません。


2014年4月23日水曜日

修行とは悟りから始めるためのモノ

今朝、元相撲取りの舞の海さんがラジオで喋っていました。相撲界の悪しき伝統を変えるべきだと彼らしく冷静に淡々と、それでいて熱い口調でした。

要約すれば「科学的にやるべきなのに喰っちゃ寝て、そして稽古じゃいけない。能力のある細い子が入門してから鍛えられるほうがよい。最初からおデブちゃんだと、後に糖尿病などのアスリートらしからぬ病に悩まされる。」のだそうです。

そしてこう付け加えられました。「病気や怪我に遭うとその結果、護摩修行などの精神世界に走る。」と。もちろんそれも大事とフォローしてたけど、それは失言です。それは違う。もちろん怪しい方向へ進んで自滅するスポーツ選手は多い。でも護摩修行をピンポイントで指してはいけない。頭にシリコンを入れた人が言うことじゃない。

修行はね、精神を鍛えたり、悩みを解消するためじゃない。鍛えた精神をもっと活用するものだし、悩みを悩みと思わぬ心を作るものなんです。苦行は、悟るためじゃなく、悟りから始めることなんです。古式伝統の世界が壊れたと錯覚すると最新科学でモノゴトの観点から優位に立ちますが、それは合理的にコトを整理しただけであって根本を変えるモノじゃないのです。


プロレスラーの棚橋選手が武藤選手との対談で「サプリメントで体調を管理して、健全な心身を維持する」と発言に対して、武藤は「昔のやり方をバカにしちゃいけないぜ。豪快に酒でステーキを流し込んで『レスラーってすげー!』と思わせてな。翌日はフラフラだよ。でもな、また激しく練習して、そこで血管をブチブチ切ってコレステロールを吹き出しながら、ウオーッ!!と闘う姿もレスラーなんだよな」と返していました。

世の中がスマートを推進する流れは確かにありますよね。決められた時間にそれだけを演じるならそれでいいのです。でもそれ以外の場面でも力士であり、レスラーであり、僧侶なんです。皆さんの立場もしかり。どちらが正論という話しではありません。一つの角度から否定しちゃなんないよというお話なのでした。

2014年4月22日火曜日

欲を生成してエネルギーとせよ!

一泊で上京していました。おかげさまで昨日、無事に銀座での個展が閉幕し、その後片付けをしてきました。大盛況だったそうで新たなファンの方も増えたとのこと。安堵とやる気が交錯する不思議な気分です。

先日の夜の法話会『抜苦与楽(ばっくよらく)』で話題にした「欲」の法話はかなり反響がありました。仏教は「欲を完全否定」というのが一般の人の印象みたいで、欲を肯定しただけで「えーーー!?」と驚きの声が上がっていました。禁欲こそ僧侶、仏教の美学だと思っている人が大半でした。


真言密教では欲を肯定しています。ロケットが飛び立つとき、大気圏を抜けるまでは莫大なエネルギーを消費します。置き換えると人間にとっての欲は、目的に向かうための「初期段階のエネルギー」という捉え方をします。例えば、モテたい!という欲があると自分を磨くでしょう。その意識で大きく容姿を変えていきます。そこからご縁が拡がって幸せをつかんだなら、その欲は毒ではなく浄いエネルギーだといえるでしょう。そのような考え方で欲を捉えると自分の内側には無限のエネルギーを貯えていることに気づけます。

大事なのはその生成方法です。石油だって原油のままでは使えません。原油を車に給油してしまうとその瞬間に壊れてしまいます。しかし正しい方法で濾過し生成をしたならば、ガソリンにも灯油にもなるわけです。自分のもつ我欲も正しい生成方法を身につければ人生の燃料になる。その生成方法を説いたのが真言密教であり、正しい修行法を身につければ、どんな苦難にも役立つエネルギーを自発させることが出来る。顕教とはまったくちがう観点から説いているのが密教なのです。

2014年4月21日月曜日

みんな「死」を考えて生きている

今週の『拝、ボーズ!!』を更新しました。髭と高野山の話で盛り上がっています。壮絶な修行の裏側も語っています。バラエティなので終始、ワイワイガヤガヤしていますが、その裏にある篤信を味わってもらえたら幸いです。お堅いイメージの仏教ですが、ここまで柔らかくすると驚くほど別角度から観得てくるモノがあると信じて14年間もやっています。ぜひお聴き下さい。

さて、昨日のブログにも記したように、昨日のスケジュールはハードでした。拝んで法話をするの繰り返し。その場も四十九日忌、三回忌、葬儀、カフェとバラエティにとんでいました。おかげさまでどの場面も充実しましたが、共通して訊ねられたことは「死をどう捉えたらいいのか?」という問題でした。

大事な人を亡くした、病気になった、老いを感じた……など理由はさまざまですが、行き着くところは「死」であり、その不安を少しでも解消したい。そんな人が多くいらっしゃいました。冗談抜きで私も死んだことがないので何とも言えませんが、いろんな死の場面に普通の人々より接することが多い立場です。それも成仏させるという責務のある立場です。なにか伝わるものはなかろうかと振り返りながらお答えしていきました。


その方便は現場でぜひ聴いてもらいたいと思います。文章だと必ず新たな疑問が生まれ、下手をすれば語弊を生みかねません。ライヴだとそこはその人に会った立場で例話を展開し補うことが出来るんです。昨日も興味深かったのは明らかに異教を唱える立場の方は場内にいらっしゃったのですが、あとで「教えはともかく私たちの供養は間違っていませんか?」と心をお開きになって訊いてこられました。これってたいへん勇気の要ることだと思うんです。でもせっかくなら訊いてみようと穏やかに打ち明けてくれました。

正直、答えは出ません。出ていても気づけないことなのだと思います。成仏とはそこを指しているのでしょう。でもどの角度からアプローチしてもはっきりいえることは「死」を感じればかんじるほど「生」から目が離せなくなるということです。生=今、であって如何に「この時」を高い次元で綿密に生きるかという部分に答えはあるのだと思います。

2014年4月20日日曜日

みんな超人

今日はこれから法事が2つ、そのあと13時から葬儀、そして15時から夢空間はしまやにて『くらしき仏教カフェ』、んでもって17時が仕上げ法要、で19時半からKappaRecordsにて夜の法話会『抜苦与楽』。どれも大事。

仏教カフェ、夜の法話会とも今月はまだお席に余裕があるようです。1日に倉敷で2つも法話イベント(それも1人の僧侶が!?)を勤めることは異例です。ぜひハシゴでお楽しみ下さい。詳しくはようまいりドットコムまで。



よくぞここまで詰め込んだという独行の限界スケジュール。でもこのくらいが私の場合、丁度良かったりします。1つに没頭するとどうも偏って歪な仕上がりになるタイプ。イイ意味ですべて腹八分的な力の入れようが向いているようです。

あれこもれも一度に出来るか!と怒る人がいますが、そういう人に限って一度もそんな状況に身を置いていないんじゃないかと思います。やってみると案外「自分ってやれば出来るじゃん」と褒めたくなるものです。

日常において専門職はそれを平気でこなしています。端から見ると超人に映るけれど、慣れてしまえば普通。コックさんもガソリンスタンドのお姉さんもお医者さんもバーテンダーも主婦だって神業の連続じゃないでしょうか。

2014年4月18日金曜日

本物の作り方

なんでも茶化す人がいますが、バカバカしいこともやり続けることで本物になります。ある名工は「本物だから続くのです」とおっしゃっていました。

私のやっている法話ラジオ『拝、ボーズ!!』は今年で14年目になります。当初は「半年続かないよ」とか「坊さんなのに漫才みたいだ」など好き放題言われたものです。中にはご丁寧にスポンサーに止めるように抗議をした坊さんもいました。

そして2年目で放送界の名誉ある賞、ギャラクシー賞をコミュニティーFMで初めて受賞し、インターネット通じて世界中の人に愛される番組に成長しました。今では文化人や著名人、そして他宗派のお坊さんや神主さんまでファンを公言してくれるようになりました。



この成功を今ふり返るとパートナーの桂米裕さんとスタッフの前澤さんの一言に尽きると思います。米裕さんは「いつ終わってもええ、今週が最後とおもって、毎週トークの1作品を完成させましょ」と心構えで教えてくれました。前澤さんは「私たちが面白い、為になると思えばいいんです。信じるのはそこだけでしょう」と覚悟を教えてくれました。

そんなこんなでまだまだ続きます。また今年も東京で公開収録も決まりました。場所はトークの殿堂、新宿ロフトプラスワンです。お坊さんだけでここにお客さんを集めるのは異例だといいます。でも可能なのです。淡々と続けていれば人は認めてくれるのです。それだけは絶対に忘れちゃいけない。信じなければならないのは誰のことではなく、自分の行いなのです。

拝、ボーズ in 歌舞伎町 2014 -NO HAIBO,NO LIFE?-
  • 日 時  2014年6月1日(日)19:00開演(会場18:00)
  • 料 金  前売2,000円(当日500円プラス)飲食代別
  • 出 演  桂 米裕、天野こうゆう、いのうえエヴァ子、M・前澤

2014年4月17日木曜日

お供えは上を下への大騒ぎ

本日は月例の『仏教講座』の日ですが、27日の『月例祈願』を繰り上げてお勤めします。お間違えのないようよろしくお願いいたします。

来年度の高野山開創1200年の記念行事にともない、さまざまなイレギュラーの出仕が増えてきました。今月27日は新潟糸魚川の寺院にて、全国を縦断している高野山からの行脚隊を待ち受けて法要があり、そこで法話を勤めるために出かけます。50年に1度のこと……少々無理をしても頑張らねばなりません。


法事の席でちょっと面白いと思ったことにふれます。ご主人が法要前に「おい、本尊さまにお供えを上げなさい」と言う。お勤めのあと奥さんが子供に「ねえ、お供えのお下がりをお墓に持っていって!」と言う。法要後、お婆さんが孫に「仏さんのお饅頭のお下がり、あんたお上がり」と言う。

同じ供物でも上下を観じるとなかなか面白いと思いませんか?日本人の施しには上下があり、順序も存在します。平面を行き来しているわけじゃないのです。これが見えてくると言葉遣いや態度さえ変わってきます。日常でもちょっと意識してみてはいかがでしょう。

2014年4月16日水曜日

法話ラボ

これまで高野山真言宗の本山布教師としてここまでやってきました。この資格があるから各地で講演を勤めたり、テレビやラジオでも起用して頂いています。そろそろ何か還元できないかな?と考え、このたび『備中真言布教研究所(通称:法話ラボ)』という機関を立ち上げることになりました。正式な始動は5月からとなりますが、同じ備中地区の本山布教師である吉田宥禪(桂米裕)さんと組んでやっていきます。主な目的は布教の地方における研究です。ちょっと専門的になりますが、
  • 口説(くぜつ)布教……法務(法事、葬儀など)での実践法話の研究
  • 文書布教……寺報、配布物、掲示物などの文書による布教の探求
  • 布教話術……所作、表情を含んだ話し方(話芸)と装束、法具の使った法話の研究
  • メディア・空間活用……テレビ・ラジオ、ITを活用したメディア布教と                カフェやギャラリー空間での法話実践研究
  • 古典話芸……古典芸能とその話芸、真言先師による口説技術の活用を探求
  • アート活用……絵画、造形、映像を活用した絵(モノ)説きの研究
  • 子供布教……寺子屋を軸として子供向けの教化研究
  • 弘法大師伝……史実のみならず、伝承や民話に登場する祖師の研究
  • 海外布教……法話の海外流布、欧米文化との対比や導入の研究
ま、言ってしまえばこれまでやってきたことの総集編的な仕事です。それにともない、講座も開いて話し手の育成にも力を注ぎたいと考えています。

  • 本山の高野山真言宗本山布教講習受講者のための準備講座(高野山教師)
  • 僧侶プチ法話塾(対象:全宗派僧侶並びに寺族)
  • 心に残るスピーチ塾(対象:高校生以上の一般)
  • こどもお話塾(対象:小学生高学年から中学生)

スピーチをふくんだ一般人の話し方もご指導します。とはいっても私たちはアナウンサーではないので、僧侶ならではの「心に沁みる」お話の組み立て方と話し方、そして心の込め方を伝えたいと考えています。また子供たちが明るく人前で自身のアピールが出来るような「お話塾」も開きます。

たかがお話(スピーチ)と囁かれますが、口下手は持って生まれたものではなく、それを正しく学んでいないだけです。人間の最大のコミニュケーション手段を僧侶に学んでみる。きっと一生の武器になると思います。


さて今週末は『倉敷法話2連戦』です。日曜の昼、まずは3年目を迎える『くらしき仏教カフェ』。美観地区内にある古い蔵のカフェでの法話会。質疑応答を中心とした参加型の催しです。その夜は『Kappa Record Presents 法話会・抜苦与楽(ばっくよらく)』。こちらは商店街にあるカフェのあるレコード屋にて、お酒(もちろんソフトドリンクもあります!)を楽しみながら流れに任せて語り合う法話会です。ぜひ20日は法話三昧をご予定にお入れ下さい。詳しくはようまいりドットコムで。

2014年4月15日火曜日

行者式・三分割生活法

今週末は『倉敷法話2連戦』です。日曜の昼、まずは3年目を迎える『くらしき仏教カフェ』。美観地区内にある古い蔵のカフェでの法話会。質疑応答を中心とした参加型の催しです。その夜は『Kappa Record Presents 法話会・抜苦与楽(ばっくよらく)』。こちらは商店街にあるカフェのあるレコード屋にて、お酒(もちろんソフトドリンクもあります!)を楽しみながら流れに任せて語り合う法話会です。ぜひ20日は法話三昧をご予定にお入れ下さい。詳しくはようまいりドットコムで。

よく時間の使い方について訊かれます。個展などでたくさんの作品を披露すると「こんなに作る時間がいつあるんですか?」と驚かれます。私としては作品についての感想が嬉しいのですが、日頃の私の慌ただしさを知っている人はとにかく時間の割き方興味津々なんです。

私が尊敬する和尚さまに教えて頂いたことを参考にしています。この方はとにかくずっと拝んでいるんです。真言宗で「拝む」といえば、仏さまの側にいることです。「常に心の中にいらっしゃるじゃん!」と他宗派は反論なさるかも知れません。しかし真言宗「拝む」は、常に仏さまを観じて正しい作法(供養)を捧げ、真言(念仏)を唱えながら、ひたすら仏さまの真似をさせて頂くことを指すのです。これを四六時中行うことが理想です。



坊さんとて日常に追われているわけです。でもそれは言い訳であり、真を求めるならひとときも修行を忘れてはなりません。この方に教えて頂いたのは「1日を3等分して使う」ということ。1日を3つ割ると8時間が3つ。それぞれを「拝む」「学ぶ」「休む」に配分する。

  • 拝む……修行すること
  • 学ぶ……書籍で研究したり、人に会うこと、手紙を書くこと
  • 休む……食事をしたり、横になったり、ゆったりすること
これを意識すれば生活に「ケジメ」が生まれます。慣れてくると分割しているのに常に「仏さまを観じる」ようになってきます。このバランスを崩さないようにすれば、他人から驚かれるようなタイトなスケジュールをこなすことが出来るようになるんです。

ちなみに私はジッとして拝むことが苦手で、その方から「それが出来ないなら、書画や造形で仏さまに関わりなさい。これも行だと思って楽しんで製作しなさい」と助言されて今が在ります。

今朝、友人のブログ(親方パンチの現場日誌)で兼高薫さんの記事を見つけました。言わずと知れた日本屈指の旅番組のナビゲーター。地球を180周もなさった方です。兼高さんの人生配分は実に興味深いものでした。ご参考までに。
  • 最初の三分の一は、あとで世の中の役に立つようなことを習う
  • 次の三分の一は、世のため人のために尽くす
  • 残りの三分の一は、自分で好きなように使う

2014年4月14日月曜日

銀座で法話!

二回目となる「銀座で法話!」昨日、無事に終わりました。午前中、倉敷での法事を済ませ、飛行機に飛び乗りました。会場に着いたのは開演20分前、ヒヤヒヤでした。

3月に行われた一回目のリピーターもいて会場は熱気ムンムン。お顔ぶれをみて用意していた話の組み立てを変えました。当初、男性が多いと読んでいたのですが、蓋を開けると女性が大半でした。そこへ「うたかたり」の小林啓子さんが歌でお祝いしてくださいました。



今回お伝えしたかったこと。それはどんな綺麗事より、泥臭い行動力の重要性。耳年増ではなく実践。私の作る可愛い(←と言われる)仏さまにも壮絶なきっかけがあったのです。その辺りを個展開催記念の法話会でお話しできて本当に良かったと喜んでいます。

それにしても「銀座で法話!」というネーミング、偶然生まれた名前。インパクトがあってなんだか気に入っています(笑)

2014年4月13日日曜日

淡々とTurn, Turn, Turn

本日は2回目となる「銀座で法話」の集いを開きます。素敵なゲストも駆けつけてくれますので、ぜひご参加下さい。

銀座で法話会 4月13日(日)15:00〜 銀座はせがわギャラリー6階

昨日から高蔵寺の『こども寺子屋』の新学期が始まりました。今年も8月を除く第2、4土曜日の朝7時から、地域の子供を集めて開校します。もう20年を越えました。細々ですがなんとか続いています。この行事があったからこそ、新客殿は完成しましたし、世代を超えた檀信徒との交流も広がりました。

2名のときもあれば30名越えることもありました。私の人生の中で一番「淡々と」という気持ちで続いた行事だと思います。それは子供が相手だと小手先は通用しないし、ど派手なことは続かない。子供というものは常に期待を裏切る存在。期待はしない。でもズッと変わらず同じ場所で待つ。これを大いに学んだのが、私にとっての寺子屋なのです。



学校でも塾でもない。まして家庭でもない。決してニュースタイルでもない。でも「在り続けること」。これが宝と成るのです。時間を費やしてきた宝物。お寺は畑かも知れません。毎年、いろんな種(子供)がやってきて、実ったら巣立っていきます。それは淡々と巡りめぐる。

そういえば私たちが主宰している、歌と法話のコラボ『うたかたり』ではよくフォークシンガーの小林啓子さんがPete Seeger の『 Turn, Turn, Turn 』を披露してくれます。旧約聖書「コヘレトの言葉」をヒントに出来た曲だそうですが、「廻る、廻る、廻る」という自然の正しい流れを示しているとか。なんだか、淡々とTurn, Turn, Turn 同じ響きでリンクしているような気がしてきました。

2014年4月12日土曜日

タブレット画風

道具は手の延長……これは伝説の宮大工、鵤工舎の小川三夫さんの言葉です。道具に使われるな、あくまでも手先の延長。身体の一部のごとく道具を使い切る。これは何も大工さんに限ったことではありません。

ふとしたことから、iPadで絵を描くアプリを見つけました。いろいろ調べると版画やスケッチをするものも揃っています。絵だけはアナログじゃないといけない!この方面では私は少し意固地になっていました。でもその考えは見事に打ち壊してくれました。


自在です。本当に良く出来ています。指先でどんどん絵が仕上がっていくんです。もちろんかゆいところに手が届かない。でもそこがアナログなのです。これはこれで新しい画材となりうる正直な気持ちです。

よくよく調べてみると、iPadなどタブレット端末の手軽さは健常者のためだけでなく、さまざまな障害を抱えた人や力の弱くなった年配者のための開発だそうです。技術進歩の最先端はいろんな立場の方々への配慮から生まれてきているんですね。

2014年4月11日金曜日

若い時期に軸を

通学路でまた悲しい事故がありました。いつも申しておりますが、子供と大人の通う時間を変えるだけで防げる事故はあると思います。教師が狭い通学路お年寄りの多いの町を猛スピードで走り抜ける。これはごく近所でもよく耳にする話です。教師たるもの生徒の登校を待ち受けるそのくらいの余裕は必要だと思います。

さて昨夜、若い職人さんのスタートがテレビで特集されていました。親元を離れ、懸命に職場で鍛えられる姿は胸を打つものがありました。私自身15歳で高野山に入り、右も左もわからぬまま厳しく鍛えていただきました。い思うとそれは悲壮感に満ちたものではなく、それしか考えられない無我夢中の日々でした。未だに夢に見ます。それくらい強烈な思い出です。しかし今、自然と体が動くのは、そのときに身につけた所作であり、心得であり、信仰であります。

画面を通じて、彼らの頑張りを見ていて、ひとつ気付いたことがあります。それは「自ら進んで入った道であること」「楽しく活躍できる将来のイメージが描かれていること」そして「師匠や先輩をみて素直にかっこいいと憧れること」、この共通点がしっかりとした軸となっている。

難しいことはいらない。素直、尊敬、没頭……これが一人前の人間を育むのです。若い時期にこの境地に気持ちを向ける意識。大人はそこへ導いて差し上げる義務があると強く思います。

2014年4月9日水曜日

節目の日…はじめの一歩

4月8日、東京2連戦。午後1時から大田区の密蔵院さまにて今年最初となる『うたかたり』、午後7時から吉祥寺のニューロカフェにて『ハッピーボーズディ』でした。

うたかたりは桜の花吹雪の中、心地よい境内を眺めながら歴史ある本堂での公演となりました。会場は超満員。懐かしいお顔ものぞいてくれました。今から約15年前から細々つづけてきた「ほほえみ法話」というメルマガの愛読者が、たまたま早朝ジョギングをしていてお寺のポスターに私の名前を見つけて、急遽お運びくださったというサプライズもありました。もちろん初対面、奇跡というべき出会いはあるものだなぁと感動し、メルマガとはいえ何かをつなげる力は継続にあるのだと改めて思いました。



ハッピーボーズディは井の頭公園そばの小さなギャラリーにて開催しました。お釈迦さまの話から如来や菩薩、数珠などのいわれをジョークを交え説きました。後半はコラムニストのしまおまほさんとブッダサウンドユニット・TarikiEchoをお迎えして楽しく対談をしました。しまおさんのかねてからのご希望でTarikiEchoと初めてディープに話し合う機会を得ました。一見、同じ僧侶同士というくくりに見えますが、真言宗と浄土真宗の本音話は他では味わえないスリリングでユーモラスな内容になったと思います。


4月8日はお釈迦さまの誕生日。なにかを始める日にしたかった。今から30年前、この日から高野山の生活が始まりました。その節目にささやかですが、他に例のないイベントが出来て本当によかったと思います。

天野こうゆう『ほほえみほとけ展〜 お坊さんがつくる縁起物』

・期間3/29(土)から4/21(月)  店休日 4/1(火)4/3(木)
・営業時間10:30から18:30まで
はせがわ銀座ギャラリー


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2014年4月8日火曜日

本日、東京2連戦!

本日、東京にて『うたかたり』の公演がございます。うたかたりは、私の法話とフォークシンガー・小林啓子さんのコラボレーションで、法話の新しいカタチとして注目されています。本日は、密蔵院さまで奉納公演です。

夜は吉祥寺のニューロカフェにて『ハッピーボーズディ』を開催します。こちらはお釈迦さまにちなんだ法話をフランクに、また楽しい仲間をゲストに迎えてゆるりと楽しみます。若干数、お席に余裕があります。ぜひお運びください。

信者さんにどっぷりとお話するのとは違い、若い人たちの興味のままに語るのは難しいことですが、その緊張感とライヴ感はたいへん刺激を受けてます。今日もきっとおもしろい展開になると今からワクワクしています。


天野こうゆう『ほほえみほとけ展〜 お坊さんがつくる縁起物』

・期間3/29(土)から4/21(月)  店休日 4/1(火)4/3(木)
・営業時間10:30から18:30まで
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2014年4月7日月曜日

お花に学べ

本日は高蔵寺花祭です。朝10時から薬師護摩と濯仏会をつとめます。

4月8日がお釈迦さまの誕生日。うちは1日はやく縁日に修しています。お釈迦さまはお生まれになっていきなり闊歩(堂々と七歩歩いた)され、「天上天下唯我独尊」と宣言なされました。天にも地にも尊き私の命は1つなり!という意味で、ここから仏教が始まったと云われます。

この散華は銀座の個展会場でお授けしています。
そのとき、天地はよろこび甘露の雨を降らし、大自然が大歓迎して活き活きしました。このようすを再現するために日本の寺院では、この時期に花御堂を飾り、甘茶を仏さまに捧げてお祝いするようになりました。甘茶には害虫除けの意味もあって、この時期に頂くことで人だけでなく家屋にとっても無病息災の功徳があるとされています。

このお祭で学ぶべきことは小さな花々の健気さの中に「唯一の命」に気づき、自身もその立場であることを自覚して大いなる魂の活躍を約束する。不必要なモノは何一つなくすべてを活かす方向で精進を始める。すべてが動き出す日本の春に、このような仏事があることはたいへん大きな意義があるのではないかと思います。あらためて考えてみてはいかがでしょうか。

天野こうゆう『ほほえみほとけ展〜 お坊さんがつくる縁起物』

・期間3/29(土)から4/21(月)  店休日 4/1(火)4/3(木)
・営業時間10:30から18:30まで
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2014年4月5日土曜日

生臭坊主のお話

ここに来ての花冷え……堪えますねぇ。でもこの寒さが桜の花を長持ちさせるわけで、何事も平坦だと楽しみはアッという間に終わってしまう。苦労の中に楽しみを味わう、そんなことを教えられているような気がします。

さて「生臭坊主とタコ」のお話。その前に生臭(ナマグサ)について。これは俗に肉や魚を食する僧侶に対しての皮肉言葉です。また、さぼったり贅沢ばかりしている僧侶にも用いられます。いわば昔の風刺の言葉ですが、前に学んだ風俗の歴史では、男ばかりで修行する世界においての「生臭さ」を指すという説もあるとか。女人禁制は同時に男同士をも律したのだと云います。これを知ると「生臭坊主」の使い方はずいぶん難しくなりますよね。


昔、京都のとある山寺に善光(ぜんこう)というマジメな青年僧がいました。母親と2人で住み込んで勤めていました。このお寺は戒律が厳しいことで有名でした。あるとき母親が体調を崩してしまいました。どんどん衰弱していく母親に望みを訊くと「こうやってお前とご本尊・お薬師さまの側で休ませてもらえるだけで有難いことなのに、そのうえ何を望みましょうか」と涙を流して弱々しく合掌しました。

善光は「食べたいものはありませんか?」と訊ねました。すると「ここにきてずっとご精進でしたから大好きな魚貝は懐かしいね。特にタコが恋しいよ」と母は申し訳なさそうに言いました。善光は決心し、市場でタコを買いました。それを見た町の人は「坊主のくせに生ダコを買っている!生臭坊主だ!」と陰口を言いました。善光は「母のために、母のために」と祈りながら駆け戻りました。

門前には特に意地の悪い男が待っていました。「やい、善光ちゃん、いや、生臭坊主ちゃん、そこ桶の中はなにが入っているんだい?」と大声で訊いてきました。善光は無視をしようとしましたが、立ちふさがって野次馬を集めました。(私は何も悪いことはしていない、母を助けるのも大切な布施行)だと念じて、桶の中を男に見せようとした瞬間、天から降りそそぐような声で「その中身は経典じゃ、堂々と見せてやりなさい」と聞こえました。善光は恐る恐る蓋を取りました。

するとそこには立派なお経典が入っていました。野次馬は喝采の声を上げ、意地悪男は赤っ恥をかきました。お堂へ戻るとそれはまたイキイキとタコとなり、善光はご本尊とタコに感謝を捧げてから、美味しく調理して母親に食べてもらいました。母親はみるみる回復し、末永く善光を支えました。

ウソも方便といいますが、時には型を破って尽くすことも大事です。何より御仏を信じきって委ねてみること。それは私の思惟を越えた結果に導いて下さるのです。


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2014年4月4日金曜日

タコで縁起かつぎ

動物はよく縁起物に登場します。犬は「子宝に恵まれて安産」「不幸がい塗る(いなくなる)」、フクロウは「福の神が朗らかにやってくる」など、挙げればキリがないくらいたくさんあります。今でこそダジャレは、親父ギャグと揶揄されますが、古来から縁起物にはトンチが利いています。

タコは「多幸」「善いものに吸い付く」「体色の赤は縁起よし」「苦難を煙に巻く」など云われます。また英語で「OCTOPUS」は置いておくとパスするという語呂から、難なく乗り越えるという意味も好まれます。



川辺や海辺のお寺の伝説にはタコや亀がよく登場します。これは水害で流された仏像や鐘楼が戻ってきた際に手伝ってくれたいう言い伝えがあるからです。先人は被災しても復興の証(しるし)として、ものごとを善いほうに受けとめてきました。身近な小動物さえも吉祥、神仏の使いとして崇めるのは、仏教ならではの発想と日本人の庶民信仰の結晶といってもよいでしょう。近隣の寺社とご縁のある動物を探してみると驚きの発見があるかも知れません。

明日は「生臭坊主とタコ」の説話をご紹介いたします。お楽しみに!

天野こうゆう『ほほえみほとけ展〜 お坊さんがつくる縁起物』

・期間3/29(土)から4/21(月)  店休日 4/1(火)4/3(木)
・営業時間10:30から18:30まで
はせがわ銀座ギャラリー


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2014年4月3日木曜日

ブルーシートでチョーク攻撃

桜のお話。この時期には何かと教えられることが多いんです。人間が桜に対して一番の拷問はブルーシートで根本を覆うことだそうです。樹木は大地の表面から根は息をしているので、そこを覆ってしまうと窒息するのです。昔から花見はあったそうですが、以前はコモか筵(むしろ)でした。通気性を確保していたのですね。だから現代の花見はプロレスでいうチョーク(首絞め)攻撃をしながら、我欲を満たしているといっても過言ではありません。



うちの境内にも桜がたくさんありますが、この花の時期を迎えるまでたいへんな手入れを要します。消毒も必要ですし、落ち葉の量も半端じゃありません。しかしこの時期を迎えるとすべてが報われる。エコ、自然保護など勝手な継承は鳴らすくせに「花見」のレベルは愚の骨頂……そろそろ愛で方を考える時期が来ているような気がします。


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2014年4月2日水曜日

行いでも「ありがとう」を!

サービス全盛のこの時代、とにかく「お客さま」は神様以上の存在です。そのサービスに感謝をして振る舞えば、そこからまた新しいプラスが生まれます。それが仏教で説く「施しの心」です。しかし「ワシャ、客じゃ!」と善根のサービスに土足で胡座をかいたような大ぼうな態度も多く見られます。

バイキング形式のレストランで我が物顔で料理を突き回し、後から来る人のことなど一切考えず食い散らかしたり、ホテルの部屋は散らかし放題、服屋さんでは元ある場所へ戻さず床に放おっておいたり……ラジオで言っていましたが、スーパーのレジ横にある電池コーナーにサンマのパックが放置されていたということも実際にあったそうです。この世の地獄とは正にこのようなことを申すのではないでしょうか。

今日、イタリアンレストランでランチをしました。スタッフもお客さまもたいへん気持ちのいい落ち着いた空間で食事を楽しみました。セルフで提供される焼きたてのパンが絶品で何度もおかわりを頂きました。私の後ろに並んでいた親子にパンばさみをとって差し上げると丁寧な挨拶が返ってきてますます心地よくなりました。

席について横を見ると先ほどの親子でした。お母さんと息子さん(小中学生2名)でした。物静かに食事されているなぁという印象で、微笑ましく私も食事を進めました。しばらくしてその親子はお会計に行きました。私は何気なくそのテーブルに目をやりました。



食べたあとの食器は種類に分けて重ねられ、テーブルはおしぼりでキレイに拭かれていました。そのようすは「ありがとう、ごちそうさまでした」と語りかけているようでした。私は久しぶりに爽やかな気持ちになりました。当たり前のことサラッと成す。後のことを考え、今いかなることが出来るのかをさりげなく実践する。言葉や笑顔だけでない「ありがとう」もあるのだと教えていただきました。来た時よりも美しく……という標語がありますが「立つ鳥跡を濁さず」以上の意識。菩薩行とはこういうことを指すのだと思います。


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2014年4月1日火曜日

恐怖に打ち勝つ方法

怖いとビビって行動が萎縮します。夜も寝苦しくなりますよね。

以前、お化け屋敷の人形を作る作家さんのインタビューを聞いたことがあります。
A: 部屋中に幽霊やお化けの人形がたくさんありますが、怖くないんですか?
B: 怖くはないですよ。見つめられていると想うんじゃなく、こちらが見つめているんだと思い込むことです。



見られているじゃなく、見つめている。これって大きなヒントですよね。恐怖だけでなく、苦難も悩みも対人にも活用出来るんじゃないかと思います。新生活に相手を呑みこんで挑むことも大事ですよ。ご参考までに。

◎お知らせ 今日と3日は個展はお休みです。

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