2014年8月24日日曜日

祖父母の姿と半返し縫い

昨日は「こども寺子屋」でしたが、我が子をいれて2名のみ。夏休みは子供たちも大忙しのようです。こんな日もあるんです(笑)そして今夜は「夜のこども寺子屋」を開校します。(こちらは予約制なので人数が事前にわかっているので安心w)ここでは初の試み、妖怪を題材としたワークショップや肝試しを行い、「物にも魂が宿っているよ」ということを説いてみようと思っています。

お寺のほうは盆明けから法事が続いています。三十三回忌もあれば四十九日忌もありまして、参拝者の心境や法話も年忌によってさまざま。住職としては緊張と緩和を重視しながら、先祖供養と自身の活かし方を端的に説いています。

昨日2つめの家、四十九日忌でのお話。看護師をしている娘さんが法要後に話しかけてきました。「私は長く看護師をしていますが、いつも配属は末期を看取る現場なんです。周りは不規則だし、気が滅入るだろうから辞めたらと言ってくれるのですが、どうもこの仕事は自分に合っている気がしてならないんです。あの世とこの世、ほんの一瞬で移動しちゃう。本当に不思議な感覚になりますし、旅立ったお姿は尊いとも感じます。不思議といえば、亡くなっていく大半の方が両親ではなく、祖父母が迎えに来たとお話ししてくれるんです。それが不思議でなりません。なぜでしょうか?」たいへん恐縮しながら噛みしめるように訊ねてくれました。

両親ではなく祖父母……この真意は正直つかめませんが、私にもそのようなお話を伺う機会が過去にありました。想像ですが、幼少時期に可愛がってもらった、その時にお経や仏壇、信仰について優しく説いてくれた……そんな思い出が末期に蘇るのかも知れません。拝む現場では、親が子に教えるより、一代上の祖父母が教えている場面のほうが確実に多いような気がします。その辺りに答えがあるのかもしれません。

この話題でふと思い出したことがあります。私は幼少の頃、洋裁を職にしていた母の影響で裁縫が趣味でした。刺繍や雑貨作りをよく習っていました。そこで教わった「半返し縫い」が忘れられません。針と糸で縫い進めるだけのこと、縫い合わせが出来ればどんな縫い方でも問題がないのに、わざわざ1つ前の縫い目に半分だけ戻り縫っていく。波縫いもあれば本返し縫いもあるのに、なぜか半返し縫いを習わなければならない。この作業が幼心に面倒でなりませんでした。とにかく早く完成させたい!前は前へ進みたい!そんな心境とは真逆の作業でした。

理由はボンヤリですが「強固に縫えて、仕上げがきれい。それでいて本返しより緩く縫えるから伸縮に強い」こんな理由を聞いたような気がします。魂も一個人だけを見ると「点」でしかありません。それが先祖代々繋がっていることは誰でも認識しています。けれど、それがどれだけの絆で縫い合わされているかはさまざまなのかも知れません。旅立つ前、祖父母に導かれたような気持ちになるのは、ひょっとしたらこの「半返し縫い」のように、先に進むことばかり考えず、ちょっと昔に戻って繋がりを強固にして、次へ繋げ。そんな想いから祖父母が現れるのかもしれません。

2014年8月23日土曜日

ロケで極楽を味わう

昨日は雨天の中、香川県多度津・道隆寺(どうりゅうじ)さんの門前でロケでした。パートナーはNMB48の植田碧麗ちゃん。15歳のお人形のような女の子です。お寺にゆかりの法話から門前をブラリしながらキーワードを頼りに特産や名物を探す内容です。その内容はある意味、モヤモヤさまぁ〜ずよりモヤモヤしているかも知れません(笑)ローカル番組といえど、その中でも一番の「どローカル」だと自負があります。それだけに出会う人々もイイ味を出してくれています。

ロケは本当にたいへんです。少なくても10名近いクルーで動き、無駄なく、迷惑なく、かつ安全に撮影を進めねばなりません。これに天候(光線の具合)やロケ場所の都合、野次馬の整理などもついてきます。演者が女性だとメイクや髪型、衣装にも細心の注意を払わねばなりません。

1人でもボーッとやっているとウィンドウに映り込んだり、ロケ先(お店など)のご機嫌を損ねたり、また私たちの表現方法ひとつでその魅力が下落する場合もあります。1日中撮影して使われるのは80〜90分程度、編集によって面白さや為になる度合いは変動します。

これを何度も繰り返していると、ロケ感が冴えてきて、お互いの気配りがドンドン増してきます。極限まで緊張と配慮を研ぎ澄ますと、ピリピリとした険しい状況を打破し、柔和で包括的な空気になってくるのです。そこでの会話はとめどなく弾み、互いに優劣はなく高め合っているという感覚になってきます。わかりやすく喩えると「歯車が合う」の精密機器版といったところでしょうか。

これこそ、空海さまのおっしゃる『三密』。行い(すること)、ことば(言うこと)、心(想うこと)が高い次元で1つに成るといく瞬間でしょうか。極限まで楽しむために厳しく現場に向かい誠意を尽くす。これこそ極楽……どの職場においてもこのような張り詰めた中のリラックスで行えたら、もっと上空からモノゴトがとらえることができるでしょう。ロケはたいへん、でもそこで極楽を味わっています。おかげさまで他の番組を見る感覚も変わってきました。

2014年8月21日木曜日

わからずやには、こんな説話を

お盆が開けてヘトヘトの中、お寺はにわかに秋以降の法事やらの予約で忙しくなります。時にはお寺に対する要望や住職への不満もあります。すべてに耳を傾け、誤解は解き、改善が必要な場合は努力を約束します。中には酔ってトンチンカンな電話でエンドレスで延々グチを聞かされたり、嫌みを罵られたりして、長時間「はい、はい、はい」とコールセンターみたいになります。

よく「この際だから言わせてもらうぞ!」というセリフも耳にします。心の中で(どの際やねん?)と叫びながら延々と伺います。罵詈雑言が出始めるとさすがに不快になるので「では、すぐにお邪魔しお詫びします……」と電話を切ろうとしまと、「待て待て、それほどのことじゃない」と慌てて冷静さを取り戻してくれたり……。正直、相手寂しいだけなのですが、多忙なのでかんべんして欲しいものです。

こんなやりとりは他の寺社、会社や店舗でもあることでしょうが、もう30年もこんなことを繰り返していると、そんな「わからずや」には、お釈迦さまの説話を淡々とお話しして締めくくります。

お釈迦さまはね、毎日、ご自分に罵詈雑言をはき出す男に対して、一切取り合わなかったんですよ。来る日も来る日も無視し続けられた。そしてね、その男に「毎日、美味しいナマモノを届けたが、そのうちは留守だった。そんな時はどうするか?」と問われたのね。すると男は「勿体ないから持ち帰っていただく」と答えた。「ならば、お前の罵詈雑言は私の手元にはない。私の心は留守だったのだ」とほほえみ、「勿体ないから持ち帰ったのだね。私は罵詈雑言は受け取っていない、天に向かって唾するような言動は控えるべし」と諭されたんですよ。

その後、この悪業がどう転ぶかは知るよしもありませんが、勢いで暴言を吐くのはほどほどにしておいたほうが良いと思います。どちらも疲れるしね。

2014年8月20日水曜日

日本人のフォーマット

今朝(2014/08/20)のもんぜんほうわ

『日本人のフォーマット』

知人とネットでやりとりをしていて、少し面白い話題にぶつかりました。知人はちょっと素敵な言葉に出会い、その原点がお釈迦さまであることを知った。どの辺りからの引用か? と問うのです。膨大な言葉から似ているモノ探すことさえ難しい……これは難題です。

この間の日曜日は法話イベントのダブルヘッダーでした。盆明けということもあり、2会場とも「お盆とはなんぞや?」という質問に終始しました。お盆はいろんな文化と考えが混在していて、現代人にとっては「わかったようでわからない」存在のようです。でもちょっと整理すれば見えてくるモノもあるわけで、なるべく整理してお話をするように心掛けました。

そこで挙げるのがデータです。お釈迦さまの例話だけだと「しょせん伝承」という斜のかまえはなかなか修正出来ません。臨床とデータ、あとは経験談が頼りです。ノーベル賞受賞者が、数学者が、大企業の社長が、大手自動車会社が……このようなアプローチで導くとグイグイ手応えが出てきます。仏教が理想から現実に変わる瞬間とでも申しましょうか(大袈裟かなw)そうか!と合点のいった表情となり「なら、信じます!」という風向きに変わるのです。

要は成功者が実践で引用した仏教の智慧を知ると、凡夫はなびくという仕組みです。こちらとしては「ずっと前から言い続けてきたこと」なのですが、具体的な成功例の魅力は計りきれません。前述の知人も「その言葉は教育者が発した言葉」として興味を持ったそうですが、その人は住職という一面もあった。そこから「坊さんすごい!」となり問うてきてくれたようです。

教育者と僧侶(住職)のどちらの割合が上でそんな名言に辿り着いたのかは知るよしもありません。でもひとついえることは、明らかに信仰の地盤があったからこその発言だと思います。パソコンの世界ではよく「フォーマット」という言葉を使いますが、「信仰の地盤=フォーマット」、これが存在します。生まれながらに備わった心。先祖から受け継いで厚いモノ。それが日本人のフォーマットです。近年の混迷は、そのフォーマットが明らかに破損欠損していること原因……その初期化にたいへん苦労しているのが現代なのだと思います。

2014年8月17日日曜日

盆じゃからさばられたんじゃ

今朝の片付けで仏送りの行事がようやく落ち着きました。ニュースを見ていると今年もこの時期の海や川、山での事故がおおく報道されています。参拝のお年寄りは「このボニヅキ(盆月)に行くかのう」とため息をつきます。

私自身、最近まで「お盆のレジャーは控えましょう」と言う立場をとっていました。お盆には地獄の釜の蓋が開く……供養を受けられなかった亡者は人々を地獄に道連れにする。子供の頃、大人たちにそう聞かされてきました。お坊さんになってから施餓鬼を修するようになり、その気持ちは益々大きくなってきました。海や川、山の流水で供養をします。供養に関わり出すと、さすがにそこで遊ぶ気持ちにはなれません。

でも近ごろは申しません。「さまざまな立場があるじゃないか!」「この時期しか遊べないんだ!」「商売の邪魔をする気か!」目をつり上げて怒る人に疲れたのです。好きにすればよろしい。人は人、さまざまな立場はあるのです。だからもう申しません。でも……正直……気持ちは良くない……これが本音です。

よく外国を引き合いに出す人がいますが、私たち日本人が外国の風習や供養に立ちあったら、やはりそこの作法に従います。盆は休暇ではない。あくまでも先祖を省みるためのもの……だから帰省と呼ぶのです。

倉敷弁に「さばる」という言葉があります。「さばる」とは、頼りにしてしがみつくという意味です。昔、倉敷の年寄りは盆時期に水場で遊ぶ子供に対して「餓鬼がさばるぞ、死人がさばるぞ、さばられたら引っ張っていかれるぞ」と脅したと云います。私もそれを聞いてゾッとした記憶があります。

真意は別にして「してはならない」ということ避けてきたの日本人です。山を修行の場とせず、登頂を「征服」といい、海を浄める場とせず、「挑む」と言い出した戦後。欧米化だと片付けようとしますが、欧米人のほうが祖霊には謙虚に映ります。参拝のお年寄りは言います。「こねぇな時期に海山に行くけん、さばられたんじゃわ……」旧街には今もそんなセリフが生きています。

2014年8月16日土曜日

餓鬼は本当にいるのでしょうか?

昨夜の『仏送り・万燈会』をもちまして当山の盆行事がすべて終わりました。毎年のことながら暑さと過労でもうろうとしながらのゴールです。年齢を重ねるごとに密度に変化が出てきたような気がしますが。かといって若かりし頃が粗末だったということではなく、今思うとあの頃の勢いにも力はあったのだと思います。

高野山での修行時代、教官先生(指導僧)が「すべての人が施餓鬼を意識し、全ての坊さんが本気で修したら世の中は極楽になる。現世が混沌としているのはその功徳がまだ不十分であり、君たちは力をそこに注がなければならない」とおっしゃったことを今でも覚えています。

餓鬼を供養する……実際に鬼がいる。飢えた亡者がいる。そんなことはナンセンスだ。そう囁く人もいらっしゃいます。私個人の意見は「いる」と思っています。詳しくは明日の『くらしき仏教カフェ』と『抜苦与楽・夜の法話会』でお話ししますが、妖怪でも幽霊でも想像の産物という見方があるのならば、記憶の産物という見方もあっていいと思うのです。だから描ける。だから語れる。だから居るのだ。こんな意見もありでしょう。

施餓鬼は盆に集中して行われますが、それは猛暑に施しの心を養うことのキャンペーンであって、真言宗では毎夜修する日行です。食卓にはそれ専用の器が常備され、食事の前にそこへ穀物を入れる。それは残り物ではなく、最初に一番美味しい部分を施す。それを日没(1日の終わり)に屋外の決まった場所(方角も決まっている)に備えて、その場に跪いて拝みます。供養の後は決して振り返らず、臆病な餓鬼が夜な夜なそれを食し、供養を受けて、成仏していくのだと云います。

長年、修しているとやっぱり不思議なことはたくさんあります。真っ暗闇の境内に狼の大群のような気配がして私の周囲を周りながら「グルルルゥ」と喉を鳴らしたり、闇の中にある岩がグニュッと変形しておぞましい顔になったり、背後から跳び上がるくらいの足音がドスンドスンと響き、翌朝には施餓鬼場所に置いていた皿が粉々になっていたり……夢か錯覚か区別しにくい不思議が山のようにあるのです。いずれも「畏れることなかれ」が基本ですが、やっぱりドキドキはします。

さて餓鬼は本当に鬼なのか。はたまた亡者なのか。1000年以上、行者によって供養されつづけてきたのにまだ減らないのか。それだけ浮かばれない魂が本当にいるのだろうか。そんな疑問は常に付きまとうわけですが、毎日繰り返しているとそこには生死の境はなく、生きている私たちが悪業がそれを生んでいるのではないか。

心ない言葉、冷たい態度、贔屓する偏愛、蹴落としてまで手に入れたい物欲……犯罪になるような悪ではなく、日々の摩擦によって起きる無意識に近い悪。これを善転させることが施餓鬼行のような気がします。だから今宵も施餓鬼を修する。このエンドレスを止めることが僧侶の本来の目的なのではないか……毎年、少しだけ秋らしくなった盆明けにそう感じてしまいます。

2014年8月15日金曜日

医者に逃げるな

お参りする家の事情はさまざま。大家族もあれば、一人暮らしもあります。いつも寺子屋のためにジャガイモやタマネギを作ってくれているおじさんは母を見とった後、一人暮らしになりました。どこへ行くのも自転車で、よく近所で見かけていました。しかし最近めっきり会わなくなりました。

久しぶりにお邪魔すると「おぅ、おじゅっさんか」と歓迎してくれました。「最近どーしょん?(どうしてますか)」と切り出すと、「それが1年半ばかり、足が腫れてどもう調子が悪いんじゃ」と片足を引きずりながら麦茶を出してくれました。

おじさんは博学でインテリな人。自分で分析して自己治癒に専念していると説明してくれました。お勤めを終えて、やっぱり気になるので「やっぱ、病院に行ったほうがええで」と不機嫌になるのを覚悟して言いました。予想どおりの反応でしたが、私もお世話になった名医だからと付け加えると「おじゅっさんを診た先生ならエエかもな」と少しは前向きに考えると約束をしました。

その後、なぜ医者嫌いなのか問いました。「若い頃、横柄な医者とケンカしてなぁ、上からモノを言う医者が大嫌いになった。医者にかかるとすべて病気にされてしまうし」と答えてくれました。嫌いはともかく、医者にかかるとすべて病気……この言葉にはハッとしました。

高野山にいた頃、ちょっとした風邪で病院に行こうとしたら先輩に「医者グセがついたらなんでもかんでも病のせいにして逃げるようになるぞ」と釘を刺されたことがあります。元来「病」でじゅうぶんに意味は通じるのに、日本では「病気」と表します。病は気から……という諺もありますが、どちらに気を向けるかで全く正反対に転じます。医者に言われたことを鵜呑みにして不健康を装うのも、やせ我慢をして気合いで乗り越えて健康を演じるのもその人次第。ただ、なんでもかんでも病にして逃げてはいけない。すべては気持ちから始まる……このおじさんにはぜひ病院に行って欲しいと願いますが、ふとそんな先輩の言葉を思い出しました。

2014年8月13日水曜日

皮算用で生きてる一流なんていない

この夏、よく耳にする周囲の話題。「弟子が逃げた」「バイトが消えた」「見習いと連絡がつかない」こんな内容が多い。小僧にもいるそうです。なんとも情けない話です。手塩にかけた後継者がなんの連絡もなしに蒸発する。理由はわからないけど、育てている側としてはたまったもんじゃない。

私は16歳から盆行を手伝っています。実家がお寺だから……そういってしまえば当然のことですが、先代(明治生まれの祖父)は厳しかったと思います。優しい口調で手厳しい。すぐにゲンコツは飛ぶような派手さはないけど、とにかく辛さを科せる人でした。

最初は30軒程度のお参りを共に歩きます。1メートルくらい離れて一挙手一投足を観察するように指導されます。家の上がり方から挨拶まで、線香の付け方まで見習います。その間の会話や身のこなしも見落とすことは許しません。でも怒らない。「見とったか?」それだけで次の家へ行きます。正直、読経が一番ホッとする時間帯でした。その後、タバコを吹かす祖父と檀家の会話に付き合います。これが辛い。とにかく足が千切れそうになるんです。その繰り返し。

そして次の日からは1日80件を1人でお参りしてこいと突然言い渡します。昨日の倍以上を1人で手描きの地図を頼りに歩きます。倒れるほど暑く、死ぬほど辛い日々が続きます。日が暮れて、帰山すると「こことここ、あと3件行ってこい」と笑顔で言います。鬼です。人間、一度スイッチを切ったらその稼働は鈍るもの……過労と悔しさでやるせなくなります。でも行かなきゃ終わらない。こうやって徐々に引き継いで今があります。

最初はバイト代で釣られたのかもしれません。記憶は定かじゃない。でもそんなことより期日までにトラブル(檀家の苦情や相談)なしに淡々と盆行出来ることに徹するようになります。もちろん「この小僧が!」と罵られることも多々ありましたし、うっかり数軒を飛ばすこともしばしばでした。

そうしているうちに祖父が「趣味と仕事の違いはな、投げ出すか投げ出さないかの部分だけじゃ。天職とはやめられない仕事を言うんじゃ」とポツリ。「四の五の言わずに職に合わせてやること。お前に向いてる仕事なんぞ、世の中にゃありゃせん。人間、選んだら終わりじゃ。仕事にお前が合わせることが使命なんぞ……」

私の先輩の言葉に「職にバカなし、人にバカあり」という強烈な言葉がありますが、逃げた、消えた、音信不通はその第一歩が間違っているのだと思います。好きな仕事で喰えることなんてこの世に存在しない。心身限界のリミッターを振り切ったところで活躍をし続ければ、それが天職となる。皮算用で生きてる一流なんていないのです。そこを叩き込まないと放浪者のような若者がますます増えることでしょう。

2014年8月7日木曜日

本尊さまがいがん(ゆがん)でる!?

私が出演しているOHK『エブリのまち・もんぜんまっぷ』でお盆準備編がオンエアされました。ぜひご覧ください。

盆行で毎日、毎日、各家をお参りしていると膝が痛くなってきます。長時間の正座の影響でしょうが、それ以外に原因があるんです。

どの家も「今日はおじゅっさんが来られるから…」と特別なお気持ちで待ってくれています。滞在は数分なのにもかかわらず、お掃除も茶菓子も心がこもっています。中には話題さえも考えてくれていて、気持ちよく会話が弾みます。本当にありがたいことです。

なのに何故膝が痛いのか……そんな大袈裟な話じゃないのですが(笑)、残念ながらけっこうな確率で、中心に座されている本尊さまの向きが歪んでいるのです。光背が傾いたり、蓮座がずれていたり、お顔がヨソを向いていたり……。点香(火を灯すこと)して「さあ、拝むぞ!」という段階になって「ありゃりゃ」と気づくんです。そのまま膝立ちしてソッと手直しをする。立ち上がると家の人が「いがん(倉敷弁=ゆがむ)でいましたか」と恐縮なされるので膝立ち。この繰り返しが原因なんです。

冗談みたいなお話ですが、ぜひご自宅の本尊さまをチェックしてみてください。仏像は固定しませんから、畳を歩くだけで普段からけっこう揺れています。気持ちよく拝むには芯を通して左右対称に映る荘厳がベストです。他が完璧でも肝心の本尊さまは歪んでいるのは残念なこと。気をつけてみてくださいね。

2014年8月6日水曜日

昔ながら…を大切に

またお墓についての番組がありました。今度の講師は浄土宗のお坊さんでした。同番組で連続ですから力の入れようがうかがえます。同時に難しいテーマに踏み入れてしまったのかも知れません。視聴者からすれば、前回の講師と今回の講師のご意見は統一されているものなのか? はたまた一礼として上書きされる情報なのか? 悩ましいところです。ただ一つ言えることは、ゴールデンタイムのスペシャル番組で、これによってこの時期の現場(檀信徒の話題)には物議を醸し出すことは必至です。

今回は「墓地への夜のお参り」「墓地での記念撮影」「幽霊の存在」「供物を持ち帰って食す」などについて語られていました。いずれも私が真言宗の立場で説いていることとは大きく異なりました。講師以上に責任があるのは番組を作る側です。従来の間違った慣習をベースに浅はかなイメージを確立してはならない。テレビ的なんて方便はいりません。やっぱりそこには無理が出てくるのです。

日本仏教は近年、世間が作り上げたイメージで独走しています。そこに本来の意味は死滅しています。そこから真を説こうとしても、それは大勢に呑みこまれてしまいます。以前にも記しましたが、今から100年前は今のような情報伝達はありませんでした。地域の風習やしきたりは方言の如く守られてきました。それが今ではたった1回の放送(情報発信)で東西新旧の文化は逆転して統一されてしまいます。いくら地方で声を大にして訴えても、大きなメディアから発せられるとそれが正論となってしまう時代です。

そんなに力むことはないよ……と思われるかもしれません。でも外来種の増殖でその土地固有の動植物が絶滅するが如く、地域から「昔ながら…」が薄れ、本来の意味もどんどん消えているのです。もうかなり意識しなければ、多勢に流されてしまう時代に入っています。各菩提寺、各地域、各家の「昔ながら…」を正否ではなく、まずは補完してほしいと切に願います。私自身、メディアでの発信も行っていますから、その難しさはじゅうぶんに知っているつもりです。かなり慎重に時間をかけて作り上げないといけません。その点、今回は突貫工事的な作りを感じてしまいました。

この話題はもうこれにておしまい。多方面から見解を訊かれるので記しておきます。私は私に関わる方々にしっかり説いていこうと思います。

2014年8月5日火曜日

その人をとことん味わう

さわえ婆ちゃんの家には年に3回お参りします。春と秋の彼岸とお盆の3回。いつのころから知らないけれど「絶対おいでぇーよー(来なさいよ)」と言われるのでお参りしています(笑)昨日もお参りしてきました。

玄関から婆ちゃんのペースで一方的な会話で始まります。こちらの話はまったく聞いてません。「よぅ来た、よぅ来た、あがられぇ(お入りなさい)」「今日はトイレはええんか?」「飲むか、麦茶入れてやろうか、オロナミンがええか?」「ささ、ここで拝んでぇよぉ、線香つけちゃろうか?」そして読経。その最中もズッと話しかけてくれてます。お経の後半に入ると「ありがと、ありがと、もうええで。そこのお布施持って帰ってや。お菓子もたくさん買うといたから。はいはい、ありがとう。オロナミン飲むか?トイレは大丈夫か?気をつけて行くんやで」と玄関が閉まります。

大きな買い物袋に一杯詰まった駄菓子をスクーターの荷台に括りつけていると、また玄関が開いて「気をつけて行くんで(行きなさい)」と言いパタン。また開いて「なんで車で来んかったん、単車じゃ心配じゃわ」でパタン。「来年も来るんやで」でパタン。「事故しぃなよ」でパタン。「死んじゃおえんよ」でパタン。これが延々続きます。

年々シワが増え、どんどん小さくなっていく婆ちゃんですが、このやりとりが楽しみでお参りしているといっても過言ではありません。人が一生で遺すモノ……それは人それぞれ。派手地味、大小、貢献なんて尺度は取っ払って、自分にとっての「その人」を味わいたい。そんなスタンスも楽しいですよ。

2014年8月4日月曜日

青木此君楼(あおきしくんろう)の詩

誰に教わったか覚えていません。
でもこの時期になると思い出します。
拝むってこういうことだと教えられます。
仏に接するってこういうことです。
ちょっとむずかしい表現もありますが、
素直になればしみこんできます。
なんども読み返して欲しいと願います。

力およばぬものばかり
あうて誠にふれる
目がへりくだる
わるぎなどさらさらない
あやまちはどこからでもおこる
しわ作りて笑む
ひざ正して聞く
ついに髄に達している
二つに分かれている
一つに固まっている
たびたび言いたりない
心のなかをうちあける
この世に仏うまれている

2014年8月3日日曜日

蝉と共に大合唱

今日は午前中(9時と11時)、二座の『高蔵寺盆合同供養祭』が営まれます。当初は盆の期間中にお留守や都合のつかない方に向けての開催でしたが、「お寺での勤行が気持ちいいから」とおっしゃる人も増え始めて、おかげさまで二座とも満席になる盛況ぶりです。

真言宗では仏前勤行次第という経本を在家(一般)の人たちといっしょに読経しますが、こと高蔵寺の檀家さんは声が大きいんです。これはよその和尚さん達から指摘されて初めて知ったことなんですが、とにかくキチッと揃うお声は圧巻です。9時の部でふと思い立ったのですが、一度『大総供養』と銘打って年末の第九合唱のように「みんなで声を揃えてお唱えする日」を設けてみたら面白いかも。1つの念仏の繰り返しじゃないお勤めはきっと圧巻だと思います。

これに負けじと境内の蝉たちも小雨の中、大合唱しています。よくよく考えたら、蝉は地中に7年間くらいいるらしいから、ズッと地中で読経や太鼓を聴いて育ったのでしょう。同じ鳴くなら境内で合掌したい。そんな願いがあるから大音量なのかもしれませんね。

2014年8月2日土曜日

ぜ〜んぶ繋がっているからさ

私はモノをはっきり言うタイプですが、白黒決着が苦手です。他人が熱くなってくるとちょっと冷めてみてしまいます。スポーツや音楽には熱くなるんですけどね……政治とか社会とかエコなんかは「どっちもどっち」という視点でみてしまう。

盆行でいろんなご家庭をお参りすると、世の中には本当にいろんな立場があって、一概に線を引くことは出来ないと痛感します。それでも江戸時代から続く檀家と菩提寺の関係にはなんとも表現しにくい信頼があって決して争うことはない……面白いなぁと思います。

生涯百姓だと自他共に認めるおじさん。この人のガンチクは面白い。「世の中、無農薬、無農薬って言うけどなぁ、農薬は毒じゃねぇんよ、あくまでも薬じゃ。な〜んもわからん小娘がガーニック(たぶんオーガニックのこと)じゃねぇーとおえん(ダメだ)とおらぶ(叫ぶ)けど、おめーの口紅のほうがよっぽど毒じゃわ!」要は良質の農薬は日本の農業にとって必要であって、虫なんかいたらそれこそ死活問題。無菌農法なんてのも、おじさんから言わせれば気色悪いことだと言う。

檀家の中にはたくさんのお考えがあって、長年お参りしていると「ほぅ、そんな考えもあるんだ」くらいの捉え方でどんどん肥やしになってくるから不思議です。

以前、河合隼雄さんが講演(書籍だったかも)で、山頂にゴルフ場を造ったら麓の家が大雨の土砂で流されてしまったことを例に挙げて、人間はこういう問題が起こると「大雨が悪い!」と雨を止まそうとはしないで、ゴルフ場を責め立てる。それも極端な話であって、ゴルフも余興としては必要だし、承諾を得て建設している。ということは、人間はこの地球上で生きている以上、自然を大なり小なり壊して生きていることを自負しないといけない。そのサジ加減を学ぶべきだし、自然の変化による予兆を察知する努力が必要だと説かれていました。

結局、超自然やオーガニックの崇拝だけでは生きられないんです。ぜんぶ繋がっているから、関係ないこともないし、関係がありすぎることもない。なんとなくありのままで、適当になすがまま……それくらいで丁度良いような気がします。極限の暑さで衣をまとい、仏前を拝み、いろんな人と話しているとそんな気がしてきます。力みなさんて……って声がよく聞こえ出すんです、お盆には(笑)

2014年8月1日金曜日

小さなお接待

昨日の話。盆行でとある一軒家にお参りしました。チャイムを鳴らすと「はーい!」と声がしたのですが、なかなかカギを開けてくれません。どうしたのかな? と待っていると小学生の女の子が出てきてくれました。何年生ですか?と訊くと「4年生になりました」と緊張した面持ちで答えてくれました。

その子に仏間へ通してもらい、灯明とお香に火を入れて拝み始めました。背中には人の気配がしたので、家族がお揃いだな……と拝み続けました。少し暑さを感じたので横にある扇風機を回してくれないかなぁ……とも思いました。

読経が終わり、汗だくになって火の始末をして振り返りました。そこにはチョコンと女の子だけが座っていました。「今日はお留守番ですか?」と訊くと「はい」と頷き、三つ指をついて「今日は父も母もいません。私1人でございますので、なんのお構いも出来ません。お茶も出せません。お許し下さい。これをお納めください。」とお布施を渡してくれました。

私は「お母さんと練習したの?」と問いました。女の子は元気に「はい!」と笑顔で答えてくれました。扇風機は準備していたから、きっとスイッチを入れ忘れてしまったのでしょう。それでもその行儀良いお接待に暑さは吹っ飛び、清々しい気持ちになりました。来年はお茶が出るのかな? 私はそんな期待をして、その家を後にしました。