すこし時間ができたら「プチ相談コーナー」を開設したいなぁと思っています。こんな感じで。
問:庭や家の敷地内にタバコのポイ捨てをされて困っています。どうしたら善いでしょう?
答:捨てられないくらいの美しさを保つ。凛とした空気とは「隙のない空間」のこと。看板で解決する問題じゃない。悔しがる前にすぐひろって捨てる。落ち葉には腹が立たないのなら落ち葉と思って取り組みましょう。
Twitterのつぶやき程度(140文字)でドンドン答えられたら面白そうです。もちろん言葉足らずはありますし、ちゃんとした信仰という軸がないと語弊もあるかと思いますが、悩みに対する答えなんてこの程度、簡潔なほうが役立つのです。ご期待ください。
2015年2月28日土曜日
2015年2月26日木曜日
自分にあった「み教え」の見極め方
今朝(2015/02/26)のもんぜんほうわ
『自分にあった「み教え」の見極め方』
各地で法話に出かけますと、よく「何を信じていいのかわからない」というお悩みを耳にします。それは「〇〇教を信じるべきか?」という意味ではなく、「あの宗教は正しいのか」「お坊さんの言っていることが信じられない」といった、喩えるなら、もう手にしてしまった本の内容が間違っていないか? という再確認ばかりです。
私はいつも「仏教と出会うきっかけは健全なときに」と説くようにしています。何か遇ってからでは冷静な判断はできっこありません。腰を痛めた状態でスポーツジムに通うようなものです。下手するとこじれてしまう。よく「死をきっかけに」とおっしゃる人もいます。これもオススメじゃありません。信心は、負(マイナス)から始めることではないのです。
〇〇は正しいのか?
〇〇は自分に合っているのか?
そんな壁にぶつかったら、ぜひ「自分の理解している範囲で判断する」ことを実践してみて下さい。例えば、歴史書を買おうと迷う。どれもビミョーに内容が異なる。そんな時どうしますか?答えは簡単で、自分の知っている記事を探して読むことです。その記述が自身のそれと同じなら(正否は別として)ググッと心に近づくでしょう。要は自分の持っているモノと比較してセレクトするしかないのです。
宗教が絡むと「大病」とか「奇跡」とか、はたまた「反戦」など、とても日常では味わうことのできない見出しに踊らせれることも氾濫しています。でも、大事なのは日常……平凡なこと、フツーの生活なのです。
私のオススメは「慈悲・じひ」あたりの語句をいかにわかりやすく、今風に納得できる説法をしてくれるか? 極楽(ごくらく)でもかまいません。簡単でズバッと響く説明と実践方法をサラッと説いてもらう。そこで「むむむ……」と意味不明(自分の知識の含む)ならば、それはちょっと合わないのかも……と様子を見るのも一手だと思います。もちろん、理想論ばかりの教えも外すべきです。非日常の修行体験なんぞ、凡夫には理解不可能なのですから。よく出来るインストラクター(お坊さん)は、日々のカリキュラムもちゃんと組んでくださるし、その方も行じておられます。説得力はそこにしか生まれないのですからね。そして大事なのは正しい教えは「信じなさい!」「やりなさい!」とは切り出してくれません。すべては自分の発心(ほっしん)によるものからってこと忘れてはなりません。
『自分にあった「み教え」の見極め方』
各地で法話に出かけますと、よく「何を信じていいのかわからない」というお悩みを耳にします。それは「〇〇教を信じるべきか?」という意味ではなく、「あの宗教は正しいのか」「お坊さんの言っていることが信じられない」といった、喩えるなら、もう手にしてしまった本の内容が間違っていないか? という再確認ばかりです。
私はいつも「仏教と出会うきっかけは健全なときに」と説くようにしています。何か遇ってからでは冷静な判断はできっこありません。腰を痛めた状態でスポーツジムに通うようなものです。下手するとこじれてしまう。よく「死をきっかけに」とおっしゃる人もいます。これもオススメじゃありません。信心は、負(マイナス)から始めることではないのです。
〇〇は正しいのか?
〇〇は自分に合っているのか?
そんな壁にぶつかったら、ぜひ「自分の理解している範囲で判断する」ことを実践してみて下さい。例えば、歴史書を買おうと迷う。どれもビミョーに内容が異なる。そんな時どうしますか?答えは簡単で、自分の知っている記事を探して読むことです。その記述が自身のそれと同じなら(正否は別として)ググッと心に近づくでしょう。要は自分の持っているモノと比較してセレクトするしかないのです。
宗教が絡むと「大病」とか「奇跡」とか、はたまた「反戦」など、とても日常では味わうことのできない見出しに踊らせれることも氾濫しています。でも、大事なのは日常……平凡なこと、フツーの生活なのです。
私のオススメは「慈悲・じひ」あたりの語句をいかにわかりやすく、今風に納得できる説法をしてくれるか? 極楽(ごくらく)でもかまいません。簡単でズバッと響く説明と実践方法をサラッと説いてもらう。そこで「むむむ……」と意味不明(自分の知識の含む)ならば、それはちょっと合わないのかも……と様子を見るのも一手だと思います。もちろん、理想論ばかりの教えも外すべきです。非日常の修行体験なんぞ、凡夫には理解不可能なのですから。よく出来るインストラクター(お坊さん)は、日々のカリキュラムもちゃんと組んでくださるし、その方も行じておられます。説得力はそこにしか生まれないのですからね。そして大事なのは正しい教えは「信じなさい!」「やりなさい!」とは切り出してくれません。すべては自分の発心(ほっしん)によるものからってこと忘れてはなりません。
2015年2月23日月曜日
真言宗の「〇〇派」はプロ野球っぽい?
おはようございます。ヌルい朝です。
よく「同じ真言宗でも〇〇派って言いますけど、交流はあるのですか?」と訊かれます。大きく分けても18の本山があると云われています。地域差はあると思いますが、基本的には同じ「派」で行動することが多いので交流は頻繁ではありません。
昨夜は近所のお寺(ご住職)のお通夜でした。昔は深い繋がりがありましたが、今では「派」の影響でほとんど交流はありません。私自身、お邪魔したのは20年ぶりくらいでしょうか。
控え室にズラッとお揃いのお坊さんは私ともう一方のみが「高野山派」、あとは京都の「御室派」でした。支度の時点でさまざまことが微妙に違うんです。作法も拝み方もちょっとずつ違う。もちろん両方を学んでいるので戸惑いはないのですが、なんだか不思議な感覚になりました。それは「なんでやねん!違うやん!」というものではなく、長い歴史(1000年以上)の中で小さな進化を重ねてきたもの。なんだか誇らしい感覚でした。
気持ちよくお勤めをさせてもらってふと思ったのですが、この状況はプロ野球に喩えるなら「セ・パ」みたいな感じかなぁと。一気に俗的になりましたが、それが一番わかりやすいかと。ストライクゾーンや小さなルールが違う。でも、どちらもそこに面白さ(素晴らしさ)が在るんですよね。
よく「同じ真言宗でも〇〇派って言いますけど、交流はあるのですか?」と訊かれます。大きく分けても18の本山があると云われています。地域差はあると思いますが、基本的には同じ「派」で行動することが多いので交流は頻繁ではありません。
昨夜は近所のお寺(ご住職)のお通夜でした。昔は深い繋がりがありましたが、今では「派」の影響でほとんど交流はありません。私自身、お邪魔したのは20年ぶりくらいでしょうか。
控え室にズラッとお揃いのお坊さんは私ともう一方のみが「高野山派」、あとは京都の「御室派」でした。支度の時点でさまざまことが微妙に違うんです。作法も拝み方もちょっとずつ違う。もちろん両方を学んでいるので戸惑いはないのですが、なんだか不思議な感覚になりました。それは「なんでやねん!違うやん!」というものではなく、長い歴史(1000年以上)の中で小さな進化を重ねてきたもの。なんだか誇らしい感覚でした。
気持ちよくお勤めをさせてもらってふと思ったのですが、この状況はプロ野球に喩えるなら「セ・パ」みたいな感じかなぁと。一気に俗的になりましたが、それが一番わかりやすいかと。ストライクゾーンや小さなルールが違う。でも、どちらもそこに面白さ(素晴らしさ)が在るんですよね。
2015年1月13日火曜日
中学3年生の男の子に贈る言葉
中学3年生の男の子からメールを頂きました。ご縁とは不思議なもので、NMB48のファンの彼はそこから私の存在を知ったそうです。その中にこんな相談がありました。皆さんならどうお答えしますか?
私はこれを読んだとき「ええなぁ…」とニヤリとしてしまいました。だって、カッコイイ言葉を返したいんですよ、この子は。 その勢い、その我欲こそが若いパワーでしょう。これが大人なら本心はココにあったとしても、もっと違う言い回しをするでしょうね。
さて、ここからが私の答えです。(※あくまでもこの子に返信しているイメージでお読みください。)
中3で「言葉の引き出し」を多く持つ必要はありません。思ったことを口にすれば良いんです。間違っていれば大人が修正してくれます。でも気をつけなければならないことが3つあります。
その1の丁寧な言葉とは「敬語」です。人間関係に悩んだら下級生にも取りあえず敬語で接する。すると敬語が身についてきます。敬語は一度身についたら、少々言葉がみだれても元に戻ります。それを鍛えるには中学から高校までの期間しかありません。
その2の「本音」とは、本心です。「ぶっちゃけ」と混同してはいけません。腹を割って話すことではないのです。ぶっちゃけるとロクな事になりません。要は「おべんちゃらを言わない」ということ。本心を発すること。おべんちゃらに慣れてしまうととんでもない大人になってしまい、真の仲間がいなくなってしまいます。愛想笑いもいらないよ。むやみにヘラヘラしなくていい。そのほうが本当の笑顔が輝きます。
その3の喜ばせる意識は、「後味」を示します。オモロイ子だったなぁ…とか、マジメなこだったなぁ…とか、印象に残る会話を目指しましょう。それが誠意です。印象を残すには2つしかありません。嫌なヤツになるか、好かれる人になるかのみ。ならば好かれるほうを選ぶでしょう。
好きな言葉についてはいろいろあって悩むでしょうが、中学生くらいなら「夢」「希望」「未来」あたりが1番人気があるでしょう。でも私ならあえてこれらを外します。夢も希望も未来も、その先のビジョン(どうなりたいか?何を目指すか?)があって成立する言葉です。掲げるだけで満足していちゃダメな言葉です。大人になってもこれを言っているような人は信用しちゃいけません(笑)。
あえて私が君に贈る言葉は…………これは直接、メールしておきますね。お楽しみに。
ラジオに寄せられたものですが、少し答えを急ぐようなので先に記しておきます。もちろん後日、ラジオの中でも詳しく話したいと思います。ご期待ください。
受験生である中3の自分はあまり言葉の引き出しが多くはありません。そこで、受験に向けて面接官からの「どんな言葉が好きですか?」の返しで言えるカッコイイ言葉をぜひ教えてください!
私はこれを読んだとき「ええなぁ…」とニヤリとしてしまいました。だって、カッコイイ言葉を返したいんですよ、この子は。 その勢い、その我欲こそが若いパワーでしょう。これが大人なら本心はココにあったとしても、もっと違う言い回しをするでしょうね。
さて、ここからが私の答えです。(※あくまでもこの子に返信しているイメージでお読みください。)
中3で「言葉の引き出し」を多く持つ必要はありません。思ったことを口にすれば良いんです。間違っていれば大人が修正してくれます。でも気をつけなければならないことが3つあります。
その1 丁寧な言葉をつかう
その2 本音を言う
その3 喜ばせる意識をもつ
その1の丁寧な言葉とは「敬語」です。人間関係に悩んだら下級生にも取りあえず敬語で接する。すると敬語が身についてきます。敬語は一度身についたら、少々言葉がみだれても元に戻ります。それを鍛えるには中学から高校までの期間しかありません。
その2の「本音」とは、本心です。「ぶっちゃけ」と混同してはいけません。腹を割って話すことではないのです。ぶっちゃけるとロクな事になりません。要は「おべんちゃらを言わない」ということ。本心を発すること。おべんちゃらに慣れてしまうととんでもない大人になってしまい、真の仲間がいなくなってしまいます。愛想笑いもいらないよ。むやみにヘラヘラしなくていい。そのほうが本当の笑顔が輝きます。
その3の喜ばせる意識は、「後味」を示します。オモロイ子だったなぁ…とか、マジメなこだったなぁ…とか、印象に残る会話を目指しましょう。それが誠意です。印象を残すには2つしかありません。嫌なヤツになるか、好かれる人になるかのみ。ならば好かれるほうを選ぶでしょう。
好きな言葉についてはいろいろあって悩むでしょうが、中学生くらいなら「夢」「希望」「未来」あたりが1番人気があるでしょう。でも私ならあえてこれらを外します。夢も希望も未来も、その先のビジョン(どうなりたいか?何を目指すか?)があって成立する言葉です。掲げるだけで満足していちゃダメな言葉です。大人になってもこれを言っているような人は信用しちゃいけません(笑)。
あえて私が君に贈る言葉は…………これは直接、メールしておきますね。お楽しみに。
ラジオに寄せられたものですが、少し答えを急ぐようなので先に記しておきます。もちろん後日、ラジオの中でも詳しく話したいと思います。ご期待ください。
2015年1月4日日曜日
今年はマイナスも認めてみよう
本年もよろしくお願い申し上げます。
今年は新年から冷え込んで水行場もたいへんでした。今朝は井戸水を汲み上げる水道がようやく溶けてホッとしました。水ひとつ、自分の力ではどうすることも出来ない、そんな小さな存在だと思い知らされた新年でした。
愚僧の私は水道が凍結して水が出ないとき、心の中で「ラッキー!」と叫びます。でも溶けたらそれを被るわけで、それはメチャクチャ冷えてるわけで、ぜんぜんラッキーじゃない(笑)こんな心で20年以上行ったり来たりしています。
最近、「今と昔を比べる論調」をよく耳にしますが、要は「古代人は自然に添うように生きてきた」のに対し、「現代人は人間の造ったモノに自然を当てはめようとしている」だけ。これが根本の違いでしょう。どちらに優劣があるのか? ほとんどの人が前者が善い!と答えるでしょう。でもこの世の中、ここまできたら必ずしもそうじゃないような気がします。
真言寺院の生活は、特に街中の生活は、その狭間を行ったり来たりしているような気がします。賛否は別として「融通」と「曖昧」を調和しながら、マジメを面白がりながら自身の可能性を見出していく。だから私は、極端なロハスやオーガニックも苦手だし、計算し尽くされた文化の中を泳ぐのも嫌いです。文章にすると難しいけど、なんとかく駄菓子屋のようなエエ加減さが好みです。美味いけど舌が青くなって食べ続けると体に悪いよ…でもちょっとなら食べちゃうとか、似てるけどこれってバチもんのプラモじゃん…でもこれもカッコイイねぇとか。
一部を「恥部」とするのではなく、大らかな中にあれもあってこれもある。今年はマイナスもあるけど必要だよねぇ…みたいな心地よさを遊歩したいなぁと思います。力みはちょっと置いておきたい心境です。
今年は新年から冷え込んで水行場もたいへんでした。今朝は井戸水を汲み上げる水道がようやく溶けてホッとしました。水ひとつ、自分の力ではどうすることも出来ない、そんな小さな存在だと思い知らされた新年でした。
愚僧の私は水道が凍結して水が出ないとき、心の中で「ラッキー!」と叫びます。でも溶けたらそれを被るわけで、それはメチャクチャ冷えてるわけで、ぜんぜんラッキーじゃない(笑)こんな心で20年以上行ったり来たりしています。
最近、「今と昔を比べる論調」をよく耳にしますが、要は「古代人は自然に添うように生きてきた」のに対し、「現代人は人間の造ったモノに自然を当てはめようとしている」だけ。これが根本の違いでしょう。どちらに優劣があるのか? ほとんどの人が前者が善い!と答えるでしょう。でもこの世の中、ここまできたら必ずしもそうじゃないような気がします。
真言寺院の生活は、特に街中の生活は、その狭間を行ったり来たりしているような気がします。賛否は別として「融通」と「曖昧」を調和しながら、マジメを面白がりながら自身の可能性を見出していく。だから私は、極端なロハスやオーガニックも苦手だし、計算し尽くされた文化の中を泳ぐのも嫌いです。文章にすると難しいけど、なんとかく駄菓子屋のようなエエ加減さが好みです。美味いけど舌が青くなって食べ続けると体に悪いよ…でもちょっとなら食べちゃうとか、似てるけどこれってバチもんのプラモじゃん…でもこれもカッコイイねぇとか。
一部を「恥部」とするのではなく、大らかな中にあれもあってこれもある。今年はマイナスもあるけど必要だよねぇ…みたいな心地よさを遊歩したいなぁと思います。力みはちょっと置いておきたい心境です。
2014年12月19日金曜日
寒さの中で鬼となる
日曜日の朝、父が79才で旅立ちました。突然の死別にしばし呆然としてしまいました。思いっきり泣いたあと、不思議と吹っ切れました。そこからは父が生前の頑張っている姿ばかりが浮かんでは消えていきました。
白黒写真の技師だった父は、自転車で30分かけて手作りの暗室に通うのが日課でした。真冬でも出かけていきました。冷たい水に手をつけて延々と印画紙と格闘していました。帰宅するとその冷たい手を私や弟のホッペに押しつけて「冷てかろぅが(冷たいだろうが)」と笑っていました。幼心に「仕事ってたいへんじゃなぁ」と思った記憶があります。
昨夜、空手を習っているチビ達(中二、中一、小一の男子)が「今夜の道場は寒かった…」と震えながら帰ってきました。週3回、平日は夜7時半から9時までの稽古。7才の末っ子は、暖房の効いてる部屋に戻るなり「死ぬかと思った…」と泣き出しました。道場はプレハブで床は板張り。足の裏からくる冷たさは尋常ではないでしょう。
私は毎朝、外で水行をします。昨朝の水行は蛇口が凍っていました。なんとか解凍して被りました。被った水が流れ出すと、体温を持った水だけが湯気を上げて流れていきます。身体を拭くタオルはシャリシャリと音を立て出しました。
本格的な冬の到来です。
私の尊敬するヨガの先生は、インドで灼熱の修行を3週間したのと、北部で氷点下の中で半日修行したのでは、北部での経験のほうが身についたと教えて下さいました。また、5才から本堂の回廊を雑巾掛けしているチビ達は最初40分かかっていましたが、真冬を経験してたった15分で出来るようになりました。
寒さは極限の心境を与えてくれます。決して無理はしてはいけません。でもちょっとした無理が鍛錬となるのです。悠々としている余裕を許さない激寒は自心を鍛えてくれます。うちのチビ達には、これといった取り柄はありませんが「寒さを嫌がらずサッと動ける力」は身につけています。勉強も大事ですが、これが何かと役立っているようです。
甘えは「心を鬼にすること」でしか抑えることは出来ません。子供、部下、後輩……まずは己が何かを科せねば鬼にはなれません。私は父の姿、チビ達は私の姿で頑張っています。伝えるとはそんなもの……親がお湯で洗顔しているようでは子供は甘えてしまいます。
白黒写真の技師だった父は、自転車で30分かけて手作りの暗室に通うのが日課でした。真冬でも出かけていきました。冷たい水に手をつけて延々と印画紙と格闘していました。帰宅するとその冷たい手を私や弟のホッペに押しつけて「冷てかろぅが(冷たいだろうが)」と笑っていました。幼心に「仕事ってたいへんじゃなぁ」と思った記憶があります。
昨夜、空手を習っているチビ達(中二、中一、小一の男子)が「今夜の道場は寒かった…」と震えながら帰ってきました。週3回、平日は夜7時半から9時までの稽古。7才の末っ子は、暖房の効いてる部屋に戻るなり「死ぬかと思った…」と泣き出しました。道場はプレハブで床は板張り。足の裏からくる冷たさは尋常ではないでしょう。
私は毎朝、外で水行をします。昨朝の水行は蛇口が凍っていました。なんとか解凍して被りました。被った水が流れ出すと、体温を持った水だけが湯気を上げて流れていきます。身体を拭くタオルはシャリシャリと音を立て出しました。
本格的な冬の到来です。
私の尊敬するヨガの先生は、インドで灼熱の修行を3週間したのと、北部で氷点下の中で半日修行したのでは、北部での経験のほうが身についたと教えて下さいました。また、5才から本堂の回廊を雑巾掛けしているチビ達は最初40分かかっていましたが、真冬を経験してたった15分で出来るようになりました。
寒さは極限の心境を与えてくれます。決して無理はしてはいけません。でもちょっとした無理が鍛錬となるのです。悠々としている余裕を許さない激寒は自心を鍛えてくれます。うちのチビ達には、これといった取り柄はありませんが「寒さを嫌がらずサッと動ける力」は身につけています。勉強も大事ですが、これが何かと役立っているようです。
甘えは「心を鬼にすること」でしか抑えることは出来ません。子供、部下、後輩……まずは己が何かを科せねば鬼にはなれません。私は父の姿、チビ達は私の姿で頑張っています。伝えるとはそんなもの……親がお湯で洗顔しているようでは子供は甘えてしまいます。
2014年12月3日水曜日
堅いと賢いは似て非なり
この不景気でナニゴトも思うようにならないという愚痴をよく耳にします。放送業界なんてモロにその影響を受けているようで、私が関わっているだけでもかなり苦しそうな印象を受けます。会社と現場……会社は「少人数で低予算、安いタレントで作れ」と煽り、製作は「こんな予算じゃ、こんなタレントじゃ、ロクなものが作れない」と開き直る。こう書くと会社が一方的に悪いように映りますが、予算があればあってしょーもない所に金を使う現場にも問題はあるので「メディアうぬぼれ」の悪循環は止まることを知りません。
これを打開するにはセンスと度胸しかありません。「これだけの予算で?」と愚痴るのではなく「よっしゃ、これで一発かましてやる!」くらいの威勢が必要です。それで結果を残せば、上からはまた「な〜んだ、この状況でイイもん作るじゃねーか」とますます苦しい条件を突きつけてきます。ほとんどの現場は、それに耐えかねて逃避してしまいます。これは苦しいからを理由の全面に挙げますが、実はプライドが許せなくて逃亡しているだけ。そのパターンがほとんどです。もったいない。
この状況の打開策は、どんな悪条件でも善い仕事をして結果を残すしかないのです。3つも4つもクリアしていって初めて「やるな、お主!」となるのです。序の口で結果を求める心意気こそ愚かなこと。やって魅せればイイのです。
企画が通らないと嘆く人にもよく出会います。企画なんて車検みたいなものです。企画=アイデアという感覚を一度捨てて、企画は「決まり事」だと割り切ってみる。厳しくつまらぬ頭でっかちの眼をかいくぐって、企画を通すことに専念する。そこの評価は社内(身内)なのだから気にせずにお利口さんぶって通すことに力を注ぐ。
通ってから(車の例えは不適切ですがご勘弁を)改造しまくればいいのです。製作の過程でどんどん枝葉を茂らせて、面白いものを作れば良いのです。お寺なんてその繰り返しです。「本堂を新築します」と宣言するとほぼ100%の確率で反対されます。それを「少々、改築いたします」と発すれば、不思議なもので50%の可能性が出てきます。柱1本遺した工法でも改築となるのです。ウソをつけというのではなく、方便としていかに理解を求めるか。もちろん、その先に素晴らしい結果を出すことが絶対条件ですが。会社が悪い?いや、それは違います。本人の頭が堅いだけなのですよ、実はね。堅いと賢いは似て非なりなのです(笑)
これを打開するにはセンスと度胸しかありません。「これだけの予算で?」と愚痴るのではなく「よっしゃ、これで一発かましてやる!」くらいの威勢が必要です。それで結果を残せば、上からはまた「な〜んだ、この状況でイイもん作るじゃねーか」とますます苦しい条件を突きつけてきます。ほとんどの現場は、それに耐えかねて逃避してしまいます。これは苦しいからを理由の全面に挙げますが、実はプライドが許せなくて逃亡しているだけ。そのパターンがほとんどです。もったいない。
この状況の打開策は、どんな悪条件でも善い仕事をして結果を残すしかないのです。3つも4つもクリアしていって初めて「やるな、お主!」となるのです。序の口で結果を求める心意気こそ愚かなこと。やって魅せればイイのです。
企画が通らないと嘆く人にもよく出会います。企画なんて車検みたいなものです。企画=アイデアという感覚を一度捨てて、企画は「決まり事」だと割り切ってみる。厳しくつまらぬ頭でっかちの眼をかいくぐって、企画を通すことに専念する。そこの評価は社内(身内)なのだから気にせずにお利口さんぶって通すことに力を注ぐ。
通ってから(車の例えは不適切ですがご勘弁を)改造しまくればいいのです。製作の過程でどんどん枝葉を茂らせて、面白いものを作れば良いのです。お寺なんてその繰り返しです。「本堂を新築します」と宣言するとほぼ100%の確率で反対されます。それを「少々、改築いたします」と発すれば、不思議なもので50%の可能性が出てきます。柱1本遺した工法でも改築となるのです。ウソをつけというのではなく、方便としていかに理解を求めるか。もちろん、その先に素晴らしい結果を出すことが絶対条件ですが。会社が悪い?いや、それは違います。本人の頭が堅いだけなのですよ、実はね。堅いと賢いは似て非なりなのです(笑)
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