2014年12月19日金曜日

寒さの中で鬼となる

日曜日の朝、父が79才で旅立ちました。突然の死別にしばし呆然としてしまいました。思いっきり泣いたあと、不思議と吹っ切れました。そこからは父が生前の頑張っている姿ばかりが浮かんでは消えていきました。

白黒写真の技師だった父は、自転車で30分かけて手作りの暗室に通うのが日課でした。真冬でも出かけていきました。冷たい水に手をつけて延々と印画紙と格闘していました。帰宅するとその冷たい手を私や弟のホッペに押しつけて「冷てかろぅが(冷たいだろうが)」と笑っていました。幼心に「仕事ってたいへんじゃなぁ」と思った記憶があります。

昨夜、空手を習っているチビ達(中二、中一、小一の男子)が「今夜の道場は寒かった…」と震えながら帰ってきました。週3回、平日は夜7時半から9時までの稽古。7才の末っ子は、暖房の効いてる部屋に戻るなり「死ぬかと思った…」と泣き出しました。道場はプレハブで床は板張り。足の裏からくる冷たさは尋常ではないでしょう。

私は毎朝、外で水行をします。昨朝の水行は蛇口が凍っていました。なんとか解凍して被りました。被った水が流れ出すと、体温を持った水だけが湯気を上げて流れていきます。身体を拭くタオルはシャリシャリと音を立て出しました。

本格的な冬の到来です。

私の尊敬するヨガの先生は、インドで灼熱の修行を3週間したのと、北部で氷点下の中で半日修行したのでは、北部での経験のほうが身についたと教えて下さいました。また、5才から本堂の回廊を雑巾掛けしているチビ達は最初40分かかっていましたが、真冬を経験してたった15分で出来るようになりました。

寒さは極限の心境を与えてくれます。決して無理はしてはいけません。でもちょっとした無理が鍛錬となるのです。悠々としている余裕を許さない激寒は自心を鍛えてくれます。うちのチビ達には、これといった取り柄はありませんが「寒さを嫌がらずサッと動ける力」は身につけています。勉強も大事ですが、これが何かと役立っているようです。

甘えは「心を鬼にすること」でしか抑えることは出来ません。子供、部下、後輩……まずは己が何かを科せねば鬼にはなれません。私は父の姿、チビ達は私の姿で頑張っています。伝えるとはそんなもの……親がお湯で洗顔しているようでは子供は甘えてしまいます。

2014年12月3日水曜日

堅いと賢いは似て非なり

この不景気でナニゴトも思うようにならないという愚痴をよく耳にします。放送業界なんてモロにその影響を受けているようで、私が関わっているだけでもかなり苦しそうな印象を受けます。会社と現場……会社は「少人数で低予算、安いタレントで作れ」と煽り、製作は「こんな予算じゃ、こんなタレントじゃ、ロクなものが作れない」と開き直る。こう書くと会社が一方的に悪いように映りますが、予算があればあってしょーもない所に金を使う現場にも問題はあるので「メディアうぬぼれ」の悪循環は止まることを知りません。

これを打開するにはセンスと度胸しかありません。「これだけの予算で?」と愚痴るのではなく「よっしゃ、これで一発かましてやる!」くらいの威勢が必要です。それで結果を残せば、上からはまた「な〜んだ、この状況でイイもん作るじゃねーか」とますます苦しい条件を突きつけてきます。ほとんどの現場は、それに耐えかねて逃避してしまいます。これは苦しいからを理由の全面に挙げますが、実はプライドが許せなくて逃亡しているだけ。そのパターンがほとんどです。もったいない。

この状況の打開策は、どんな悪条件でも善い仕事をして結果を残すしかないのです。3つも4つもクリアしていって初めて「やるな、お主!」となるのです。序の口で結果を求める心意気こそ愚かなこと。やって魅せればイイのです。

企画が通らないと嘆く人にもよく出会います。企画なんて車検みたいなものです。企画=アイデアという感覚を一度捨てて、企画は「決まり事」だと割り切ってみる。厳しくつまらぬ頭でっかちの眼をかいくぐって、企画を通すことに専念する。そこの評価は社内(身内)なのだから気にせずにお利口さんぶって通すことに力を注ぐ。

通ってから(車の例えは不適切ですがご勘弁を)改造しまくればいいのです。製作の過程でどんどん枝葉を茂らせて、面白いものを作れば良いのです。お寺なんてその繰り返しです。「本堂を新築します」と宣言するとほぼ100%の確率で反対されます。それを「少々、改築いたします」と発すれば、不思議なもので50%の可能性が出てきます。柱1本遺した工法でも改築となるのです。ウソをつけというのではなく、方便としていかに理解を求めるか。もちろん、その先に素晴らしい結果を出すことが絶対条件ですが。会社が悪い?いや、それは違います。本人の頭が堅いだけなのですよ、実はね。堅いと賢いは似て非なりなのです(笑)