2015年1月4日日曜日

今年はマイナスも認めてみよう

本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は新年から冷え込んで水行場もたいへんでした。今朝は井戸水を汲み上げる水道がようやく溶けてホッとしました。水ひとつ、自分の力ではどうすることも出来ない、そんな小さな存在だと思い知らされた新年でした。

愚僧の私は水道が凍結して水が出ないとき、心の中で「ラッキー!」と叫びます。でも溶けたらそれを被るわけで、それはメチャクチャ冷えてるわけで、ぜんぜんラッキーじゃない(笑)こんな心で20年以上行ったり来たりしています。

最近、「今と昔を比べる論調」をよく耳にしますが、要は「古代人は自然に添うように生きてきた」のに対し、「現代人は人間の造ったモノに自然を当てはめようとしている」だけ。これが根本の違いでしょう。どちらに優劣があるのか? ほとんどの人が前者が善い!と答えるでしょう。でもこの世の中、ここまできたら必ずしもそうじゃないような気がします。

真言寺院の生活は、特に街中の生活は、その狭間を行ったり来たりしているような気がします。賛否は別として「融通」と「曖昧」を調和しながら、マジメを面白がりながら自身の可能性を見出していく。だから私は、極端なロハスやオーガニックも苦手だし、計算し尽くされた文化の中を泳ぐのも嫌いです。文章にすると難しいけど、なんとかく駄菓子屋のようなエエ加減さが好みです。美味いけど舌が青くなって食べ続けると体に悪いよ…でもちょっとなら食べちゃうとか、似てるけどこれってバチもんのプラモじゃん…でもこれもカッコイイねぇとか。

一部を「恥部」とするのではなく、大らかな中にあれもあってこれもある。今年はマイナスもあるけど必要だよねぇ…みたいな心地よさを遊歩したいなぁと思います。力みはちょっと置いておきたい心境です。


0 件のコメント:

コメントを投稿