2014年9月17日水曜日

檀家塾で学ぶ、総括!日本の葬送儀礼

先週の日曜日、『檀家塾』なる新しい企画を開催しました。これまで様々な企画をやってきましたが、意外にも檀家限定(檀家とそれを希望する家)のみというのは初めての試みでした。お盆から声がけをして当初2名しか申込みがないという滑り出しで焦りましたが、蓋を開けてみれば大盛況でした。

塾の内容はテーマに沿って展開します。今回は「葬儀」。いきなり暗くなる内容ですが、ここで本儀を知って頂くことによって、生きること、そして檀家としての在り方に気づいてもらいたいという願いを込めました。葬儀の歴史、宗派ごとの違い、昨今の変化、戒名の意味、日本仏教の誤解など、寺院の変遷と共に講義をしました。

一度では理解できないかも……というお声もありましたが、それはそれで良いと開き直って進行しました。み教えとは、どこかに一つ、なにかが引っかかればそこからグイッと芽を出すものだと思います。そういった意味から「檀家塾」は、作物に喩えるなら開墾と種まきの繰り返し。そんなことを改めて実感しました。

塾の総括として「日本人にとって葬儀とは?」を語りたかった。新しいとされるさまざまな供養(※あえて供養と記しますが、本儀に則っていないため、本来なら処理法と表現したほうが正しい)、散骨や家族葬、僧侶を必要としない直葬など、死にまつわる儀礼は混沌としています。檀家の中には、これまでの葬儀が無意味だったのか?と疑問に頭を抱える人もいますし、遺言によって束縛されて、異端な供養方法を推し進めなければならなくなったケースもあります。しかし、あえて日本独自の葬送儀礼が脈々と今日まで伝わってきたのか。ここを明確にせず、理想ばかりをボンヤリ説いてきたからこそ、日本仏教を葬式仏教などと揶揄され続けているのでしょう。

今回は開校前からあらゆる書籍や言葉を探しましたが、コレ!と言ったものが見つからずずいぶん悩みました。もうここまで出ているのに……この作業は本当に難産でした。そして前夜、たまたま別件で開いた本の中に言わんとしている内容が明確に記述されていて光明が差しました。我が高野山の後輩・蝉丸P師の著作『蝉丸Pのつれづれ仏教講座』(p.174)からの引用です。参考までに記しておきます。

葬送儀礼なんてものは、とっくの昔に廃れている風習であるにもかかわらず、今に至るまで続いてきたのには、「意味」と「実利」があったればこその話です。(中略)「死者への感謝と哀悼を捧げつつ、キッチリと決別するという側面と、ちゃんとした儀礼に則って見送るということによって、心的負担の軽減を図り、安心感を担保してくれる上に、聴聞や挨拶など社会的な義理を一本化してくれるモノ」です。

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