2014年11月10日月曜日

脳が説く仏教!?

脳科学はまだまだ謎だらけだそうです。最新、といっても次々新しいことに塗り替えられてしまうそうです。

私も参考させてもらっています。これも雑学程度、仏教に結びつかないかという観点専門なんですけどね。たとえば、脳を真横から見ると上部は「想像」を司るそうで妄想なんかもここがフル回転しているのだとか。脳の凄いところは、その部分が成長するのそうで、昔から「オデコが広い人は賢い」とか「頭の大きい人は天才だ」だなんて言い方はまんざら偶然でもないのかも。

また妄想を瞑想に置き換えますと、どんどんそこで善い状況(仏の世界)を想像していく。もうパンクしそうなくらい善いコトだとけ延々考え続ける。これが座禅瞑想なのですが、これを最初に行じた人がお釈迦さまでしょう。お釈迦さまは極限までそれを行って、頭頂部がメキメキと盛り上がってきた。そうそう、如来さまのコンモリした部分ですね。それを肉髻(にくけい)と呼ぶようになった。そんな仮説も楽しいものです。(あくまでも私の勝手な想像ですよw)

また、これまでは「行動」は脳が手足に命令を下して、実行に移っていると考えられてきました。しかし、最新の研究では行動のほうが先で、0.0何秒遅れて脳が働くということが解明されたそうです。となると例えば殴った後に、脳が慌てて言い訳(理由)を考えているのだと考えられるわけです。これを私たちの教えに置き換えると「懺悔」の理由も変わってきます。真言宗では仏前勤行次第の先ず最初に「懺悔文・さんげもん」を唱えます。中には「悪いことをやっていないのに!」と疑問を言う人もいます。でもこの理論を当てハメれば、ちょっと見方が変わってきます。やってしまった罪科を後から懺悔することがキリスト系ですが、仏教はやる前に懺悔する。仏教はものすごく不合理だと言われ続けてきましたが、手足に「やっちゃダメ!」と言い聞かせることが目的が理由なら納得もいく。罪は犯さないほうがいいもんね。脳の仕組みと比べて仏教をを眺めると、合理と不合理が逆転する日も近いのかもしれません。まったくの私感ですが……(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿