2014年11月13日木曜日

私と弟、そして父親と……

私は絵を描きますが、家族の中では一番ヘタクソです。中でも父と弟はズバ抜けて上手い。弟はそのまま芸大にすすみ、今では東京で画家として活躍しています。だから誰の批評より、家族の意見が厳しく身に沁みるものです。

弟の語録はなかなか含蓄があって好きです。例えば、芸大を目指す人の意識について訊ねたら「上手く描きたいと望んで門を叩く人は五万といるけど、そこに至る技、例えばデッサンをそこで学ぶのか、それをクリアした上で学ぶのかで成功のレベルが違う」とか、苦手な画法について訊くと「10代ならそれを克服すれば間に合うが、それを越えると短所は短所のままにしておいて、得意技(長所)をとことん表現すべき。現にアニキの作品に対して、お金を出してくれる人がいるわけだし、そこは大切に想うべき部分だよ」とか。

こんな感じで常に新しい刺激を与えてくれます。そんな言葉を聞くと、モノクロ写真技師であり写真家である父親の影響は私より弟に引き継がれていると心から思います。またこれが、兄弟でお坊さんだったらこんな風にはならなかったかも知れません。共通なのは、父親ゆずりの頑固なところ……その隙間にお互いが潤滑油となっているような気がします。そんな父親は、本日78歳の誕生日を迎えます。本当におかげさまです。

さて最近、若い人と接していて思うのですが、どこか卑屈でどこか素直じゃない……そんな人が多いような気がします。せっかく恵まれた体格や才能、センスを持ち合わせているのに「何も出来ない」「そのレベルの中では大したことはない」「無能だ」と自らが戦わずして放棄しているようなセリフばかり。貧乏はしないに越したことはないけれど、社会においてある意味、サバイバルな状況になった時、それを脱するのは自身の技量でしかないと心から思います。

私の大好きなイラストレーターは「1つのデッサンを完成させるためにコピー用紙を30も使うんですよ!」とおっしゃっていました。30とは枚数じゃないのです。30㎝積み上げるほど描き続けるのだそうです。驚きでしょう。でも本職とはそういうものです。私とて、新客殿建立の際に数千万円が不足して路頭に迷いました。そんな時「ご寄付が難しいなら作品を描いて売ればいい」と無償で大量の和紙をくださった人がいました。それしかないと決定(けつじょう=心を固めること)し、ひらすら仏画を描き続けて今の画風が完成しました。なにがホンモノかは未だわかりませんが、付け焼き刃じゃないどうにもならないってことだけは知らされたような気がします。

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