2014年11月12日水曜日

即席・淨業法

「おもてなし」という言葉がメジャーになりました。でも「言うのは簡単、やるのは難し」の世界です。真言宗のお坊さん的には「おもてなし」より「お接待」のほうが重要で馴染みが深いのかもしれません。口でどれだけ媚びへつらっても「お接待」の真意が表に出せる人はどれくらいいるでしょうか。

お客様に真心こめて……なんてセリフ、口に出した時点でアウトです。当たり前のことなんですからね。よく「欲を捨てて」という言い回しにもなる。これも難しいです。人はどうしても「見返り」を期待してしまうもので、せっかくお接待しても「お礼を言わなかった!」なんて言い出す始末。

このような状態を賢者に相談すると「我欲を捨てよ、無心になれよ」と説くでしょう。でもそれが出来ないから厄介で、いっそのこと思いっきり「見返り」を求めて取り組むという方法もありじゃないかと私は思います。ギラギラネチネチした欲望の権化になりきって、見返りのみを求める言動。その見返りを高く設定するとこれがなかなか難しいもの。「どうしてだよ!」という不満も相手にではなく、自分にぶつけ出すことでしょう。そうしているうちに、相手から絶大な感謝をして頂く。自分ではそんなつもりはないのにね……心内は見えていないわけだから、相手には淨業に映る。バカ正直に取り組んでヤサグレルくらいなら、結果がオーライもあっていいのです。

この間、寺子屋で不真面目な子供がいました。罰として境内の掃き掃除を言いつけてやりました。不満タラタラ、不服な表情の大洪水、嫌々の権化はホウキを持ちました。そこへおばあちゃんが参拝にやってきました。その姿をみて「アンタ立派ねぇ、こんなにキレイにしてくださって」と褒めてくれました。その子は私を見てニヤッとVサインをして、余分に掃除をしてくれました。

淨業なんてそんなもんです。自分に何をどう科せるかではなく、相手がどう受けとめてくださるか。腹の底なんてどうでもいいのです。綺麗ごとばかり掲げて、自身でストレスを抱えるほうがよっぱど不健康だということです。

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