2014年11月11日火曜日

予知を真似する

週末、寺務所のデスク周りを片付けていました。パソコンが3台もあってどうも使い勝手が悪い。おまけにメイン機が壊れてAppleに入院してしまう。こういう時こそと奮起してレイアウトを一気に変えるべきだ!と張り切りました。

しかし見渡す(見上げる)と、そこに布教資料や書籍、趣味のフィギュアやプラモデルまで山積みしていて、ワイヤーラックもかなり危険な乗車率。これを全部下ろして動かすには相当の覚悟がいると判断した私は、重そうな物だけを下ろして、一人でラックを動かすという暴挙に出ました。

ジリジリと動き出したラック。「お、調子いいぞ!」とニヤリする私。その瞬間、一番上の棚にある木像の布袋さんと目が合いました。この布袋さん、昭和初期の名のある仏師さんの作と伝わるお宝。もともと七福神として製作されていたのに、2体が先にばら売りされてしまい、激安で一番出来の良かった布袋さんを分けて頂いたという思い出の代物。素朴で大好きな作風なんです。

その時の行動はすべて脳裏に1秒先が映し出され、そのあとに現実が伴う、そんな錯覚に陥っていたような……いま思えばそんな気がします。布袋さん、グラッと上段から転げ床に落ちてガツ〜ン!、そして一部が欠けてしまう。それを嘆く自分の姿……完全に予告を観ていたにもかかわらず……内心どこかで「大丈夫や」と強行をしてしまいました。すると案の定、予告編通りにみごと転落。思わず「痛っ!」と声を上げるほどのショックが私を襲いました。それこそ後の祭り……。

そんなこんなで自分の愚かさを責め立てる週末となったわけですが、よくよく考えたら「予知」なんて誰にでも出来ることであって、それを参考に実践するかしないかが個人差、能力の有無じゃなく、それに従うか否かの問題。必ずそれが起こりうる僅かな瞬間、その映像や体感を得ているのに、横着や慢心でそれを参考とせずに無視して愚行に走る。「参考」なんて言葉、よ〜く見ると「考えが参ってくる」と記すわけで、それが上手くいかないのは、ただただ自分が自分に素直じゃないからでしょう。

ここではマイナスを愚かな私の事例で記しましたが、その逆もあるわけでその感覚を大事にすれば、きっと成就なんて願わずとも叶うのではないかと思うのです。「一瞬先は闇」の逆、一瞬先は明るいと信じ切る。その一瞬に立ちふさがるちょっとした手間や抵抗。そこで「ま、いいや」と投げ出さず、その予知の通りに真似をしてみる。マイナスが映った場合は真逆をしてみる。そうすれば、スイスイと乗り越えられるはず。予知の「予」は「前もって」という意味。一瞬でも未来に知っているからこそ、失敗を回避し、成功の物真似をする。それを実践すると、面白く転がる率は大幅に上がると思います。(英語なら「予」は【in advance】でいいのかなぁ?)そんなことを布袋さんに教わった気がします。さ、修理しましょ。

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