2014年10月13日月曜日

五十回忌に想うこと

親父の五十回忌ぐらいは家でと思うてなぁ……法事前、私の父と同世代の施主さんは目を細めてこうおっしゃった。近ごろでは自宅の法事がめっきり減ったので、なんだか懐かしい気持ちでお勤めができました。

五十回忌とは「亡くなってから49年目に行う法要」です。50歳の誕生日でさえ、なかなか祝ってもらえないのに、亡くなってから親族が集まって供養を行う。若い時からその度に不思議な気持ちになったものです。

私が高野山に上がると決心した15歳の夏、明治生まれの祖父(師匠)は毎朝勤行のときに「お前が今死んだら何人が悲しんでかけつけてくれるか?」を問うてきました。必至に数えてちょいと多めに答えると「なんじゃそんだけか?生き方に問題あるのう」と突き放されたものです。

「ええか、死んだらよほど優秀な幽霊にでもならん限り、お前のことなんぞ誰も思い出してくれんぞ。そのためには今を、生きるを、ちゃんと意識するんじゃ。坊主はなぁ、五十回忌を勤める立場。その場にいる人はみんな菩薩じゃよ」毎朝の質問のオチはこんな言葉でした。今でもよく思い出す言葉です。

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