「うちの仏壇にはたくさんのお位牌があってね、50年以上経ったものは一つにまとめたいんよ。よう拝んでもらってから繰り出し位牌に入れたいから、戒名板(木の板)に書いてもらえる?」という内容でした。このような相談は日常茶飯事で、うちとしては別に間違った方法でもないので快諾すれば済むことなんですが、ここからが大切な説法になります。
住職:なぜに?
檀家:たくさんあり過ぎるから
住職:少なくすればどうなるの?
檀家:スッキリするかなぁと思って。
住職:見た目?心?どっち?
檀家:う〜ん、見た目かな。
住職:心は?
檀家:微妙……だからご相談している(笑)
住職:お位牌はシンボルだし、その人の存在を示す唯一のカタチよ。
だからまとめてスッキリするという気持ちの前に
たくさんに見守ってもらえてるという気持ちもないかなぁ。
檀家:………。
実は周囲がそういうことを勧めるから、つい………。
住職:50年以上のお位牌の中には100年以上のモノもあるでしょ?
あれは今から作れないし、それだけの先祖がいたご家庭も少ないよ。
檀家:……ですよね。
住職:まとめるお手伝いはいつでもするので、しばらく手を合わせてみたら?
檀家:はい、そうします。
住職:娘さんも年頃だし、ご婚約の時には両家の仏壇は不可欠ですよ。
もちろん祀らない家も多いけど、そこはね……、
檀家:そうなんです!私も嫁いだときに
ここは歴史ある立派な家だなぁと思った記憶があります。
それって大事ですよね!
住職:そういう価値観の家同士もあるってこと。
檀家にだから説けるお話よ。
檀家:ちょっと弱気になっていました。ありがとうございました。
電話を切り、時計をみると約8分の会話時間。たった8分の会話……それでもお互いホッとした爽やかな気持ち。めでたし、めでたしです。この奥さんとは短時間でもわかり合えるし、別の答えを求めていることも手に取るようにわかる。だからこれだけの会話でも「安心」をお授けできる。これは檀家と菩提寺の信頼があるからこそ成せる技。永年培ってきたお互いの土壌が同じだからこその信頼があってこそ。
日本の仏教にはこのような繋がりがあって成り立っていることを忘れてはなりません。「うちはお寺と縁がなくて……」よくこう切り出す人がいますが、最初から縁がない家なんてない。いつの時代か誰から縁が途絶えたのか? まずそこを見直す必要があると思います。昨今の「お坊さんへの質問」は、この信頼なき状態から突然に訊ねてくる人が増えました。自分の土壌は未開拓のくせに本質を知ろうとする。挙げ句、あちこちにたくさんのお坊さんに答えを求めて取捨選択で1つの道を選ぼうとする。それは解釈ではなく、ただただ納得という解答を得たいだけ。これで「み教え」が身につくと思うとは大間違いだと認識すべきです。
(ご注意:日々、多くの相談や質問がきますが、お顔の見えない人(檀家外)には一切答えていません。あらかじめご了承くださいませ。)
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