2014年10月23日木曜日

0に越したことはない…世界に生きる

昨日は消防署が主催する講習会に講師として招かれました。今回は「予防広報」という部署の方々に「心をつかむ話し方」という題名でお話しさせて頂きました。予防広報とは、起こりうる災害に対しての予防……先にそれぞれが出来る対策を流布すること任務だそうです。

ふと考えると、消防も警察も医者も「何かあったら儲かる」という仕事ではありません。0(ないこと)を祈りながら、万が一に備えて下さる立場です。ですから、日々さまざま工夫で私たちに「万が一」の予防と対応を教えて下さっています。しかし私たちは、それをなかなか素直に受けとめず、我欲に溺れて生きています。

消防なら「火が出そうな場所を減らし、整理整頓をなさっていざという時に」と教えて下さいますし、医者なら「常日ごろ適度な運動をして体調管理をするように」と指導下さいます。でもやらない。やりたくない。これが私たちの弱いところです。

今回の講習で気づいたことは、いかに幼い時にこのようなことを叩き込んでおくことが重要かということ。行者の世界でいう「修行=習慣づけ」の世界。やっておかないと気持ち悪いと思わせる習慣づけ。素直なうちに常識をすり込んでいないといざという時に役に立たない。

先日、小学1年生の我が家のチビは、学校で行った避難訓練を真剣に話してくれました。目をキラキラ輝かせながら……。これが中学生の兄ちゃんになるとクールなんです。「やらされているから仕方ない」という意識が勝っているんです。その差です。ここに教育の意味が凝縮されているのです。

修行も、朝起きないといけない。掃除をしないといけない。拝まないといけない。私が15歳で入門したとき、教官は「遅いな」とおっしゃった。本来はもっと早く入門しなければいけない世界だと思い知らされました。先代は6歳はだった云います。それが今、ようやくわかってきました。防災も予防もすべてはそこに答えがあるのです。

前述の話題に戻ります。この講習で一番驚かれたのは「坊さんも予防を心掛けている」というテーマでお話しした時でした。その内容とは「坊さんは葬儀を待っているわけではない。住職在任期間中は1名も亡くならないように祈るのが仕事」いうものでした。坊さんは葬儀で儲けている……これが凡夫の解釈です。でも火事も、病気も、事件も、事故も喜ばない立場と同じ。0に越したことはない……世界に生きているのです。




それが証拠に「私のお寺のご本尊は薬師如来さま」です。健康を保ち、病気になれば平癒し、日々の平穏を願う仏さまに仕えているのです。そこで死を待つのはナンセンスまだまだその認識は薄くて苦労をしているわけです。そんなことを知って頂こうと、この日曜日に大祭を催します。ぜひご参加下さいませ。

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