2014年10月21日火曜日

本当とウソの境界線なんてない

正直を勘違いしている場面によく出くわします。ぶっちゃけ、ざっくばらん、ここだけの話……この語句で何もかも口にするからややこしい。黙っていればいいのです。でも黙っておけないから、知らない努力をすることも肝心なのです。

画家のミレーでしたか(ちょっと失念…また詳しく記述します)、売れない時期があって友人のほうが先に有名になってしまった。友人は彼の才能を高く評価していたのですが、なかなか芽が出ない。友人はどんどん都会で大成功を収めていく。ある日、友人が彼のアトリエを訪ねたら、真冬だというのに暖炉に火が着いていなかった。薪を買うお金がなかったのです。友人は「私の知人が君の作品を欲しがっている。セレクトは任せてもらったから、この作品を分けて欲しいんだ」といい、1枚の作品を大金で引き取ってくれました。そこから彼はドンドン頭角を現して有名になりました。後日、その友人の家を訪ねるとその絵が飾ってありました。お互いニッコリと微笑んで「よかったね」「ありがとう」と抱き合ったと云います。

どこからどこまで本当で、そしてどれがウソなのか。そんなことはわかりません。しかし親友同士の許容の中で心地よく生かし合っているからこそ、余分なセリフは必要としなかったのでしょう。

なぜそこで要らぬことを言う?
いまその本音が必要か?

失敗はすべてそこから生まれています。それは「正直」とはちょっと違い次元の悲しいセンスだと思います。知らせないのも思いやり……知ることが全てではないことに気づく。「融通」、これも悟りの1つでしょうね。

0 件のコメント:

コメントを投稿