2014年5月23日金曜日

病魔を祈祷するということ

ちょっとご無沙汰してしまいました。お変わりありませんか。私は宮大工講演会、研修、出張、仏教カフェなど慌ただしく動いています。来月1日にはラジオの公開収録『拝、ボーズ!!in歌舞伎町2014』が控えています。トークの殿堂で「坊さん」についておもしろためになる法話を展開いたします。

父に病魔の疑いがあり、1ヶ月ちかく検査の日々でした。付き添いの母のほうが心配になるくらい大病院を行ったり来たり。待ち時間で相当のロス。行き交う知人には状況説明。ますます医者嫌いになりそうな日々でした。病魔の進行を脅かすくせに、検査結果は連休で延期される。個人的な投与を目的とする実験的な薬剤を契約させる。どれも不安をさらに増幅されるものばかりでした。

私の出来ることは「気にしないこと」「心配しないこと」の2つのみ。祈願の世界では決めつけないことが鉄則なのです。病気と聞くと周囲がそれを構築させる。ないものまで呼んできて尾ひれ背ひれをつけて「不幸」を作り上げるのです。拝み方にはいろいろあります。その病原に対して撲滅を祈る方法もあれば、誤診にすることも許容なのです。要は「病でなかった」ことにすれば解決するのです。

父の場合、結局「異常なし」で一件落着。なんの問題もありませんでした。不安におののいた数ヶ月。いらぬ憶測と最悪の事態を話し合う日々。0の地点を平常にするならば、心配はマイナスの数値を示し、異常なしで0に戻っただけのこと。なのに母は「善かった」と安堵します。プラスには一度も向いていないのに……それが人の心です。それでも善かったと感謝できるところに信心の芽は育つのだと思います。

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