2014年8月13日水曜日

皮算用で生きてる一流なんていない

この夏、よく耳にする周囲の話題。「弟子が逃げた」「バイトが消えた」「見習いと連絡がつかない」こんな内容が多い。小僧にもいるそうです。なんとも情けない話です。手塩にかけた後継者がなんの連絡もなしに蒸発する。理由はわからないけど、育てている側としてはたまったもんじゃない。

私は16歳から盆行を手伝っています。実家がお寺だから……そういってしまえば当然のことですが、先代(明治生まれの祖父)は厳しかったと思います。優しい口調で手厳しい。すぐにゲンコツは飛ぶような派手さはないけど、とにかく辛さを科せる人でした。

最初は30軒程度のお参りを共に歩きます。1メートルくらい離れて一挙手一投足を観察するように指導されます。家の上がり方から挨拶まで、線香の付け方まで見習います。その間の会話や身のこなしも見落とすことは許しません。でも怒らない。「見とったか?」それだけで次の家へ行きます。正直、読経が一番ホッとする時間帯でした。その後、タバコを吹かす祖父と檀家の会話に付き合います。これが辛い。とにかく足が千切れそうになるんです。その繰り返し。

そして次の日からは1日80件を1人でお参りしてこいと突然言い渡します。昨日の倍以上を1人で手描きの地図を頼りに歩きます。倒れるほど暑く、死ぬほど辛い日々が続きます。日が暮れて、帰山すると「こことここ、あと3件行ってこい」と笑顔で言います。鬼です。人間、一度スイッチを切ったらその稼働は鈍るもの……過労と悔しさでやるせなくなります。でも行かなきゃ終わらない。こうやって徐々に引き継いで今があります。

最初はバイト代で釣られたのかもしれません。記憶は定かじゃない。でもそんなことより期日までにトラブル(檀家の苦情や相談)なしに淡々と盆行出来ることに徹するようになります。もちろん「この小僧が!」と罵られることも多々ありましたし、うっかり数軒を飛ばすこともしばしばでした。

そうしているうちに祖父が「趣味と仕事の違いはな、投げ出すか投げ出さないかの部分だけじゃ。天職とはやめられない仕事を言うんじゃ」とポツリ。「四の五の言わずに職に合わせてやること。お前に向いてる仕事なんぞ、世の中にゃありゃせん。人間、選んだら終わりじゃ。仕事にお前が合わせることが使命なんぞ……」

私の先輩の言葉に「職にバカなし、人にバカあり」という強烈な言葉がありますが、逃げた、消えた、音信不通はその第一歩が間違っているのだと思います。好きな仕事で喰えることなんてこの世に存在しない。心身限界のリミッターを振り切ったところで活躍をし続ければ、それが天職となる。皮算用で生きてる一流なんていないのです。そこを叩き込まないと放浪者のような若者がますます増えることでしょう。

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