2014年8月17日日曜日

盆じゃからさばられたんじゃ

今朝の片付けで仏送りの行事がようやく落ち着きました。ニュースを見ていると今年もこの時期の海や川、山での事故がおおく報道されています。参拝のお年寄りは「このボニヅキ(盆月)に行くかのう」とため息をつきます。

私自身、最近まで「お盆のレジャーは控えましょう」と言う立場をとっていました。お盆には地獄の釜の蓋が開く……供養を受けられなかった亡者は人々を地獄に道連れにする。子供の頃、大人たちにそう聞かされてきました。お坊さんになってから施餓鬼を修するようになり、その気持ちは益々大きくなってきました。海や川、山の流水で供養をします。供養に関わり出すと、さすがにそこで遊ぶ気持ちにはなれません。

でも近ごろは申しません。「さまざまな立場があるじゃないか!」「この時期しか遊べないんだ!」「商売の邪魔をする気か!」目をつり上げて怒る人に疲れたのです。好きにすればよろしい。人は人、さまざまな立場はあるのです。だからもう申しません。でも……正直……気持ちは良くない……これが本音です。

よく外国を引き合いに出す人がいますが、私たち日本人が外国の風習や供養に立ちあったら、やはりそこの作法に従います。盆は休暇ではない。あくまでも先祖を省みるためのもの……だから帰省と呼ぶのです。

倉敷弁に「さばる」という言葉があります。「さばる」とは、頼りにしてしがみつくという意味です。昔、倉敷の年寄りは盆時期に水場で遊ぶ子供に対して「餓鬼がさばるぞ、死人がさばるぞ、さばられたら引っ張っていかれるぞ」と脅したと云います。私もそれを聞いてゾッとした記憶があります。

真意は別にして「してはならない」ということ避けてきたの日本人です。山を修行の場とせず、登頂を「征服」といい、海を浄める場とせず、「挑む」と言い出した戦後。欧米化だと片付けようとしますが、欧米人のほうが祖霊には謙虚に映ります。参拝のお年寄りは言います。「こねぇな時期に海山に行くけん、さばられたんじゃわ……」旧街には今もそんなセリフが生きています。

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