2014年8月24日日曜日

祖父母の姿と半返し縫い

昨日は「こども寺子屋」でしたが、我が子をいれて2名のみ。夏休みは子供たちも大忙しのようです。こんな日もあるんです(笑)そして今夜は「夜のこども寺子屋」を開校します。(こちらは予約制なので人数が事前にわかっているので安心w)ここでは初の試み、妖怪を題材としたワークショップや肝試しを行い、「物にも魂が宿っているよ」ということを説いてみようと思っています。

お寺のほうは盆明けから法事が続いています。三十三回忌もあれば四十九日忌もありまして、参拝者の心境や法話も年忌によってさまざま。住職としては緊張と緩和を重視しながら、先祖供養と自身の活かし方を端的に説いています。

昨日2つめの家、四十九日忌でのお話。看護師をしている娘さんが法要後に話しかけてきました。「私は長く看護師をしていますが、いつも配属は末期を看取る現場なんです。周りは不規則だし、気が滅入るだろうから辞めたらと言ってくれるのですが、どうもこの仕事は自分に合っている気がしてならないんです。あの世とこの世、ほんの一瞬で移動しちゃう。本当に不思議な感覚になりますし、旅立ったお姿は尊いとも感じます。不思議といえば、亡くなっていく大半の方が両親ではなく、祖父母が迎えに来たとお話ししてくれるんです。それが不思議でなりません。なぜでしょうか?」たいへん恐縮しながら噛みしめるように訊ねてくれました。

両親ではなく祖父母……この真意は正直つかめませんが、私にもそのようなお話を伺う機会が過去にありました。想像ですが、幼少時期に可愛がってもらった、その時にお経や仏壇、信仰について優しく説いてくれた……そんな思い出が末期に蘇るのかも知れません。拝む現場では、親が子に教えるより、一代上の祖父母が教えている場面のほうが確実に多いような気がします。その辺りに答えがあるのかもしれません。

この話題でふと思い出したことがあります。私は幼少の頃、洋裁を職にしていた母の影響で裁縫が趣味でした。刺繍や雑貨作りをよく習っていました。そこで教わった「半返し縫い」が忘れられません。針と糸で縫い進めるだけのこと、縫い合わせが出来ればどんな縫い方でも問題がないのに、わざわざ1つ前の縫い目に半分だけ戻り縫っていく。波縫いもあれば本返し縫いもあるのに、なぜか半返し縫いを習わなければならない。この作業が幼心に面倒でなりませんでした。とにかく早く完成させたい!前は前へ進みたい!そんな心境とは真逆の作業でした。

理由はボンヤリですが「強固に縫えて、仕上げがきれい。それでいて本返しより緩く縫えるから伸縮に強い」こんな理由を聞いたような気がします。魂も一個人だけを見ると「点」でしかありません。それが先祖代々繋がっていることは誰でも認識しています。けれど、それがどれだけの絆で縫い合わされているかはさまざまなのかも知れません。旅立つ前、祖父母に導かれたような気持ちになるのは、ひょっとしたらこの「半返し縫い」のように、先に進むことばかり考えず、ちょっと昔に戻って繋がりを強固にして、次へ繋げ。そんな想いから祖父母が現れるのかもしれません。

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