2014年7月7日月曜日

反対の可能性もある

本日、朝10時より高蔵寺縁日『お薬師さん』の法要を勤めます。無病息災のお護摩と生活に役立つ法話をいたします。ぜひお運びくださいませ。

最近「可能性」という言葉が気になっています。「病気になる可能性」「災害に遭う可能性」など、あまり良い方向で使用されていない感じがするのです。そこがどうも気になります。

真言密教の教えを活用していくと、いつも常識とは真逆の解答が出てきてます。一見、天のじゃくでヘンコツな理屈に聞こえるのですが、そこにパッと光明が差し込んで解決に導かれます。

可能性も一点を見つめて危機感をあらわにするだけで訴えているものか……そんなことを思います。例えば「病気になる可能性」を口にしたとき、そのリスクと同時にメリットもあるのではないか。暴飲暴食でメタボになり肥満になる可能性をみた場合、その真逆には栄養がみなぎってこれまで以上のパワフルな活動が出来る可能性もあるのです。災害もそれによって被害が出るということは、その逆の利便を得ている可能性もあるでしょう。

弱点の裏に利点。片方ばかりみて嘆くのではなく、その裏で得ている素晴らしさについても光を当てると批判だけではない得策が生まれると思います。これはモノゴトだけではなく、人に対しても言えること。ダメな可能性ばかりをクローズアップして本来もっている素晴らしさを摘んでしまう必要はないのです。可能性という言葉を聞いたら、中心にコトガラを置き、キレイな円を描くイメージを持ってみてください。抱えている問題も案外、捨てたもんじゃない。大逆転の材料となり得るのですよ。

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