2014年4月23日水曜日

修行とは悟りから始めるためのモノ

今朝、元相撲取りの舞の海さんがラジオで喋っていました。相撲界の悪しき伝統を変えるべきだと彼らしく冷静に淡々と、それでいて熱い口調でした。

要約すれば「科学的にやるべきなのに喰っちゃ寝て、そして稽古じゃいけない。能力のある細い子が入門してから鍛えられるほうがよい。最初からおデブちゃんだと、後に糖尿病などのアスリートらしからぬ病に悩まされる。」のだそうです。

そしてこう付け加えられました。「病気や怪我に遭うとその結果、護摩修行などの精神世界に走る。」と。もちろんそれも大事とフォローしてたけど、それは失言です。それは違う。もちろん怪しい方向へ進んで自滅するスポーツ選手は多い。でも護摩修行をピンポイントで指してはいけない。頭にシリコンを入れた人が言うことじゃない。

修行はね、精神を鍛えたり、悩みを解消するためじゃない。鍛えた精神をもっと活用するものだし、悩みを悩みと思わぬ心を作るものなんです。苦行は、悟るためじゃなく、悟りから始めることなんです。古式伝統の世界が壊れたと錯覚すると最新科学でモノゴトの観点から優位に立ちますが、それは合理的にコトを整理しただけであって根本を変えるモノじゃないのです。


プロレスラーの棚橋選手が武藤選手との対談で「サプリメントで体調を管理して、健全な心身を維持する」と発言に対して、武藤は「昔のやり方をバカにしちゃいけないぜ。豪快に酒でステーキを流し込んで『レスラーってすげー!』と思わせてな。翌日はフラフラだよ。でもな、また激しく練習して、そこで血管をブチブチ切ってコレステロールを吹き出しながら、ウオーッ!!と闘う姿もレスラーなんだよな」と返していました。

世の中がスマートを推進する流れは確かにありますよね。決められた時間にそれだけを演じるならそれでいいのです。でもそれ以外の場面でも力士であり、レスラーであり、僧侶なんです。皆さんの立場もしかり。どちらが正論という話しではありません。一つの角度から否定しちゃなんないよというお話なのでした。

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