2014年4月26日土曜日

親父の跡継ぎなんかを目指すから愚僧になるんです。

寺には親父がいて息子がいるケースが多く見られます。跡継ぎとして、父(住職)の背中をみながら働いているパターン。しかしこの形でキッチリ出来ている関係はほんの一握り、ほとんどがヌルい関係が多いように思います。基本的な(高野山)修行はとにかく早いほうがイイ、これが私の持論です。数多くの選択肢をもてるようになってからじゃ逃げ道を他に求めるし、横着や近道の知恵をつけるとどんどん希薄な行となるので、物心ついた時点で没頭を勧めます。高野山での修行を「一人前になった!」と思っている人が大半だけれど、実はそれを車に喩えると仮免許。そこからどんどん路上(実践)を積まなきゃなりません。ほとんどの場合、親父がその席にいるため、ここでペーパードライバーならぬペーパー坊主が生まれます。

私は「うちの若いの頼むわ」とよく頼まれる立場です。ならばと粋に感じて一肌脱ぐのだけれど、たいていの場合、その親父に口を挟まれる。「そこまではせんでいい」「まだ早い」「徐々にでエエ」などなど。母親からはその真逆。「とにかく鍛えてやって欲しい」と頼まれます。どっちやねん!? と悩んでいるうちにその子は来なくなります(笑)



それなら私に頼まなくてもいいような気がするのだけれど、結局その甘さがその息子をどんどんダメにしています。私はよく「住職はなにも世襲制(親子代々)でなくていい」と公言しています。しっかり磨かれたやる気のある他人、値の繋がりのない弟子のほうが絶対に世の中のお役に立つと信じているからです。今の私自身の活躍は、右も左も……いや、上下さえもわからぬ10代の修行時代と、先代の祖父が全権を譲ってくれて、実践で完膚無きまでに揉みくちゃにされたからこその産物です。それしかないんです。

若き跡取りよ、親父に言われてうちに来るようじゃすでに勝負あったですよ。世の中に通用する立場になりたいなら、自立、発心、没頭を呪文にして単独で実行に移せ!厳しいけれどそれしか言いようがありません。


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