2014年4月5日土曜日

生臭坊主のお話

ここに来ての花冷え……堪えますねぇ。でもこの寒さが桜の花を長持ちさせるわけで、何事も平坦だと楽しみはアッという間に終わってしまう。苦労の中に楽しみを味わう、そんなことを教えられているような気がします。

さて「生臭坊主とタコ」のお話。その前に生臭(ナマグサ)について。これは俗に肉や魚を食する僧侶に対しての皮肉言葉です。また、さぼったり贅沢ばかりしている僧侶にも用いられます。いわば昔の風刺の言葉ですが、前に学んだ風俗の歴史では、男ばかりで修行する世界においての「生臭さ」を指すという説もあるとか。女人禁制は同時に男同士をも律したのだと云います。これを知ると「生臭坊主」の使い方はずいぶん難しくなりますよね。


昔、京都のとある山寺に善光(ぜんこう)というマジメな青年僧がいました。母親と2人で住み込んで勤めていました。このお寺は戒律が厳しいことで有名でした。あるとき母親が体調を崩してしまいました。どんどん衰弱していく母親に望みを訊くと「こうやってお前とご本尊・お薬師さまの側で休ませてもらえるだけで有難いことなのに、そのうえ何を望みましょうか」と涙を流して弱々しく合掌しました。

善光は「食べたいものはありませんか?」と訊ねました。すると「ここにきてずっとご精進でしたから大好きな魚貝は懐かしいね。特にタコが恋しいよ」と母は申し訳なさそうに言いました。善光は決心し、市場でタコを買いました。それを見た町の人は「坊主のくせに生ダコを買っている!生臭坊主だ!」と陰口を言いました。善光は「母のために、母のために」と祈りながら駆け戻りました。

門前には特に意地の悪い男が待っていました。「やい、善光ちゃん、いや、生臭坊主ちゃん、そこ桶の中はなにが入っているんだい?」と大声で訊いてきました。善光は無視をしようとしましたが、立ちふさがって野次馬を集めました。(私は何も悪いことはしていない、母を助けるのも大切な布施行)だと念じて、桶の中を男に見せようとした瞬間、天から降りそそぐような声で「その中身は経典じゃ、堂々と見せてやりなさい」と聞こえました。善光は恐る恐る蓋を取りました。

するとそこには立派なお経典が入っていました。野次馬は喝采の声を上げ、意地悪男は赤っ恥をかきました。お堂へ戻るとそれはまたイキイキとタコとなり、善光はご本尊とタコに感謝を捧げてから、美味しく調理して母親に食べてもらいました。母親はみるみる回復し、末永く善光を支えました。

ウソも方便といいますが、時には型を破って尽くすことも大事です。何より御仏を信じきって委ねてみること。それは私の思惟を越えた結果に導いて下さるのです。


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