2014年3月23日日曜日

仏壇は小さなお寺

毎日ラジオを聴いていると季節の話題が豊富に飛び込んできます。法話の出足にけっこう役立つ話題も多く、なるべく耳を傾けます。テレビの場合は出演者の私感が多いような気がするので、ミュートにして画像から言葉を組み立てます。大げさなことはしていませんが、日々の布教道を訊ねられたらこれくらいのことでしょうか。

彼岸になると、あちらこちらで彼岸の話題が出てきます。とくに春到来を告げる話題として、秋よりは聴く機会がグッと増えます。どの番組も季節の「風物」としての触れ方で、仏教的な部分はイントロダクションに過ぎません。あえて触れたとしても「宗派、地域によって解釈は異なります」の文言付きが多い。当り障りのない結論をみない展開ばかりです。

この一週間、ニッポン放送『鈴木杏樹のいってらっしゃい』も彼岸特集でした。この番組は10分程度なのですが、構成と言葉の美しさ、そして彼女の上品さが際立つ良い番組だと私は思っています。さりげないのですが、スッと心に残るんです。

さすがに「彼岸」が難しいだろうとちょっと斜に構えて聴きましたが、なかなか上手くまとまっていましたし、その結論立てもしっかりしていました。やんわりとした流れの中に「逃げ」がないのです。金曜日が(彼岸特集の)最終回でしたが「仏壇は家の中の小さなお寺」と位置づけ、大切な物だと説いていました。随所に「宗派によって」というセリフはあったと思いますが、原点に終始した展開はアッパレでした。



坊さんは「宗派の違い」に甘んじています。そこをウヤムヤにして自分の宗派すらお粗末にする。ここに挙げた「仏壇」においてもさまざまな見解に分かれます。宗派には歴史があり、そこに伝わる決まりがある。釈迦誕生からの宗派をうたうなら、その流れに突如ポンと生まれてきたものはないのです。宗派によっては‥‥なんてセリフを一般人が注意を促しながら語ることは、そろそろ終わりにしなければならないと思います。布教現場はそんなモヤモヤを一掃したい方々が集ってきている。布教はその先を目指すべきで、いつまでも入門前の建前説法をしていてならない。仏壇、位牌、墓、これをきっちり変わらず堂々と説ける宗派はちゃんと自宗を名乗って説くべきだと思います。逃げちゃダメなんですよ、坊さんは。


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