1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」といいます。私が高野山の道場に入ったとき、教官から「在家(一般)ならそれでええ。僧分なら、1月は祈る、2月は担う、3月は捧げる……この精神を忘れるな!」と教わったものです。念頭の3ヶ月をどう過ごすかが大事。
1月はとにかく1年の安泰を心から祈りきる。2月は何事も寒さで億劫になるのだから、人の分まで任務を担え。3月はそれまで養ってきた徳分を捧げきれ。今でも頭から離れない教えです。そして「この3ヶ月で1年は決まる」と言い聞かせて行じるようにしています。
高野山での3月は春がくるワクワク感とまだ先の見えない寒さとの合間にゆれる時期。彼岸が近づくと観光客も増えて賑やかになってきます。行者は、月末を機に山を下りる者もいれば、もう1年頑張ろうと居残る者もいる。悲喜交々の一ヶ月。
いま振り返れば懐かしいのひと言。あのときに戻りたいかと言われると……う〜ん、まだ今は足りていますと答えてしまうかな(笑)
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